http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16357 (写真入り記事)
昨晩のことですが、夜の祈祷会の帰り道、渋谷の立ち食いそば屋でもりそばを食べていました。
胸ポケットに折りたたんで入れておいた1万円札が何かの拍子に床に落ちてしまい、気づかないでいました。
私が、おそばを受け取りに席を外していた時、若い男性が、私がいた席の足元で一万円札を拾って、店員に届けてくれました。
こういうのは一瞬のできごとです。
拾った人が、そのままポケットに入れて店を出ることも十分可能でした。
さらに、他の客が拾ってそのままポケットに入れて持ち逃げしてしまうことも可能でした。
こういうできごとに遭遇すると、「日本は捨てたもんじゃないなー」と感じます。
この一万円を失くしたとしたら、テンションが下がりますし、とても困ったと思います。
拾って届けてくれた人に、「ありがとう!」と心から叫びたいと思います。
そして、私も、その喜びを胸に秘めて、人に親切をしたいと思います。
思い出すと、標高2000mのアサマのスキー場で、スキー滑走中にポケットからサイフを落としたことがありますが、誰だかわかりませんが、リフト乗り場にサイフを届けてくれました。
コンビニのトイレの個室でサイフを落として気づかないでいましたが、次に入った人がすぐに届けてくれました。
親切をしてもらうと、当然、その人にお返しをしたくなります。しかし、そういう親切な人に限って、すぐにその場を立ち去ってしまいます。「せめて、何かお返しをしたい!」と悔いが残りますが、きっとその親切をしてくれた人は、「それを他の誰かに返してあげて下さい」と言っているような気がします。
最近では、車を運転していて笑顔で「お先にどうぞ」と言ってくれる人はあまり多くはありませんが、時々います。飛び切りの笑顔で道を譲ってくれるのです。そうすると、心がうれしくなり、私も、次の機会に、笑顔で道を譲ってあげました。
そうしたら、そのうれしそうな顔を来たら、「譲ってあげてよかったなー!」と思います。きっと、その人も他の誰かに、笑顔で道を譲ってあげたに違いありません。
親切と優しさの連鎖。これは、日本を「捨てたもんじゃない!」とみんなが思える国に変えていきます。
育休宣言をし、育休推進活動をしていた自民党の宮崎謙介議員は、イクメンの良い夫ぶりをアピールしていましたが、奥さんが出産間際に、隠れて不倫をしていたことが発覚し、報道されました。
これは偽善者であり、一種のナルシストです。国会議員であり、できた夫ぶりをアピールし、人からよく思われている自分が好きで、酔いしれていたとしか考えられません。
聖書は、その逆を教えます。
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:1〜4)
話は戻りますが、私に親切をしてくれた上に、それをこっそりしてくれたことで、そのありがたみは何百倍にも膨らみます。
本当にありがたいです。
つらくなった時、親切にしてもらったことを思い出したら、そのつらさは半減します。
人は、親切を受けて、親切な人になりたいと思うものだと思います。
叱られて育つということは否定しませんが、それだけでは性格がゆがんでしまいます。
クリスチャンが成長する原動力はなんでしょうか?
「こうあらねばならない!」「こうしてはならない!」という律法によってでしょうか?
しかし、律法は悪いものではありませんが、人を成長させるのは神の愛です。
神の愛は、無条件で一方的です。ひたすら、ただ与えるだけの愛です。そんな愛があることを知っていますか? 人は、そんな愛を求めているのではないでしょうか?
その愛は、すでにあなたに向けられています。その表れがイエス様の十字架です。
人は、徹底的に、とことん愛されると、どんな人でも、その愛に報いたい、その愛に恩返しがした、その愛に応えたい思うものだと思います。
クリスチャンは、神の愛を徹底的に受けることで、神に喜ばれる人に成長したいと願って、それが祈りとなり、成長に向かうのです。
神は、あなたを愛しています。神は愛です。
神に恩返しがしたいと思う時に、神は、「その愛を私に返すのではなく、他の誰かを愛してほしい」と言われると思います。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」(第一ヨハネ3:16)
私は、昨晩お金を拾ってくれた人の厚意を忘れません。まして、神の愛、キリストの愛を忘れることはありません。
今では、この方のためにいのちをささげても良いと思って生きています。神の愛が余りにもすばらしいからです。
神の愛を受けたことで、その恩返しを神にしたいという思いが、他の誰かのために仕え、伝道したいという思いになっています。
神の愛をみなさんに分かち合いたいです。
素敵な一日でありますように。
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