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2016年02月07日08:21

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Enzo Traverso 『全体主義』についてのメモ

エンツォ・トラヴェルソ『全体主義』(平凡社新書2010年)に気になる記述があったので記録。

136ページ。

<blockquote> 西洋世界で拒否されはじめた全体主義の概念は、ソヴィエトの〈プラハの春〉弾圧に震撼させられ、システム内部からの改革を絶望視して共産党と完全に絶縁し、現実の社会主義を根本的に批判しはじめた中東ヨーロッパの知識人のあいだで浮上しつつあった。この批判は、西洋自由主義にはあまり馴染みのないような、反官僚主義的な反抗だった。彼らは「人間の顔をした社会主義」を語ったが、生産手段の私有化と市場にもとづく自由主義=民主主義的なモデルの輸入は考えていなかった。彼らの行動が1989年の歴史的転回を準備したことは間違いない。だがそれは意想外のかたちで実現したのであって、1960年代、70年代の実践や理想や希望とは多くの点で矛盾していた。ハンガリー動乱(1956)から、〈プラハの春〉(1968)を経て、ポーランドの〈連帯〉誕生(1980)まで、彼らは、自由、民主主義、参加、第三の権力組織(労働者委員会、直接民主主義の形式)を要求したが、個人主義や私有財産、市場、自由企業など、自由主義的伝統に根本的ないくつかの価値には目を向けなかった。かつての反抗者たちの多くは、今日、母国に民主主義のみか資本主義を持ちこむ主人公となっている。</blockquote>

この人はどうしてこんなウソをつくのだろう。ポーランドの〈連帯〉が資本主義復活を公然と目指す運動であったことはもはや常識ではないか。

<a HREF="http://www.bolshevik.org/Pamphlets/Solidarnosc/solidarnosc.html" target="_blank">Solidarnosc: Acid Test for Trotskyists</a>
<a HREF="http://www.revolutionarycommunist.org/socialism/3618-ps300614" target="_blank">
Poland: solidarity and counter-revolution</a>

当時、革命的左翼は労働者国家防衛のため戒厳令と軍政を支持した。それは〈連帯〉(Solidarność)による反革命を阻止するためにそれ以外の道はなかったからだったのだ。
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