電球の普及とイノベーションと労働法
1 おらの村には電気がねえ
「赤毛のアン」はルーシー・モード・モンゴメリーが1908年に出版した小説でたちまちベストセラー兼ロングセラーとなった。日本での紹介はおくれて1953年に村岡花子訳で少女小説としてロングセラーとなった。「グリーンゲーブルズのアン」(直訳すると緑の切妻屋根(三角屋根)のアン」を「赤毛のアン」としたのは村岡である。1953年当時では人前で癇癪を起こしたり、男の子に対して報復でスレートで頭をたたくなど、激情的で乱暴な少女像はさぞかし斬新であったことだろう。女子に対する暴力があたりまえだったから日本ではこのような少女は矯正されていたと思われる。もっともモンゴメリーもある程度理想化したかたちで創作はなされたようである。アン・シリーズのあとのエミリー・シリーズでは、少女エミリーはかなり厳しいしつけを受けている。
「赤毛のアン」は1979年には名作アニメとして1年間放送された。この時代だと、もう激情的で乱暴な少女も日本に居所があったのだろう。実際、そのようにこの時代を生きた人間は感じているのではなかろうか。筆者だけであろうか。
2008年の出版100周年の際には地元カナダと日本で記念切手が発行された。
日本側はアニメ、カナダ側は実写映画や挿絵をつかっていて、同じ年齢のはずなのにカナダのほうがだいぶ大人っぽくみえる。
舞台はカナダ東海岸のプリンス・エドワード島。北海道北部くらいの気候である。
1880年代か90年代の舞台設定であり、赤毛で想像力ゆたかな、父母ともに死去した孤児アン・シャーリーが11歳のとき、60歳代のマシューと50歳代のマリラの兄妹がくらす田舎の村アヴォンリーのグリーンゲーブルズ農場にひきとられてうけいれられてマシュー亡きあとの一家をささえるようになる16歳半までを描く。
都会のカモーディにでたときにアンは電球をみる。
アンの家ではランプだった。アンの村には電気がなかったのだ。
ちびまる子ちゃんはさくらももこが、平成になってから発表したマンガであり、アニメ化されて20年続いている。舞台設定は1974年の清水市である。その主題歌である「踊るポンポコリン」に「エジソンは偉い人」というフレーズがある。そのころの小学校には偉人の肖像画が理科室などに掲げられており、エジソンは定番だった。
では、エジソンの偉さの一端として1882年にエジソンがマンハッタンに火力発電者第一号を建設して1879年に実用化した電球を普及させ、電機産業発展の礎を築く。
電球の普及はアンのところまではおよんでなかったが、世界に向けて普及ははじまってはいた。
2 電気の影響
電球の素材に京都の竹がつかわれたというのは日本とエジソンの関係のエピソードとしてあがる。ほかにもエジソンと日本との関係はある。
照明にランプを使用していた時代は紡績工場の夜間操業は不可能だった。工場のなかには綿埃だけでランプの火が燃え移って火事になってしまうからだ。最初に電灯をつかって夜間操業を始めたのは東洋紡の前身の大阪紡績である。1886年のことだった。1882年から4年しかたっていない。当時日本で電球をつかっていたのは皇居と陸軍士官学校くらいであった。
ほとんどの日本人が電灯をみたことがないので夜になると見物人が集まったという。
夜間操業ができるので2交替制が可能になり、生産性が高まった。
生産性によって日本の紡績業はインドや中国の綿糸を圧倒していく。しかし、それは機械の24時間稼働の基づくものであり、労働者にとっては過酷な夜勤のはじまりであった。
3 労働法へ 労働基準法の長時間労働・夜間労働の規制
昼夜二交替制は労働者にとっては長時間労働であり、かなりつらい状態である。
当初は無制限に低賃金長時間労働がなされていたが現在は労働基準法などで労働者保護がなされている。
深夜業とは労働基準法の定義では、午後10時から午前5時まで(厚生労働大臣が必要であると認める場合においては、その定める地域又は期間については午後11時から午前6時まで)の間における労働者による労働である。
ログインしてコメントを確認・投稿する