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2016年02月04日23:49

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「スロウ」の再構築。

いわゆる「隣の芝生は・・」ってヤツですかな。

バブル時の就職・・っても、ピンポイントでは確かに良い面がありそうなものの、
長い目で観た場合必ずしもよいとは言えないんですよね。

入れたはいいものの、その後バブル崩壊からのあらゆる変貌で、
淘汰や切り捨てが容赦なくなってる現状を考えると、

「暖かいお湯に浸かった後の、冷めた水の冷たさに耐性のない状態」を
実感してしまうわけで・・。その意味じゃやはり、順序的には
厳しい状況を先に体験し耐性をつけておく方が、後々の為になるだろうと。

それ以外はどうだろう・・。

月並みではあるかもしれないけども、やっぱり『過渡期ゆえの幸福感』・・
『物が豊富になる前の、築きあげられていく過程』っていうのが
得てして面白いというか、ある種の実感は得られるのかと。

物は無いなりに工夫する。知恵を使うことで良化したり、
利便性なりが向上することに、人間本来の充足感というのがあると思うわけで。

昭和の時代は、まさに過渡期であり今より利便性は低かったものの、
そこで立ち止まっていたわけじゃなく、色んな知恵を使っていたんですよね。
その知恵は、時に人間コミュニティの中で共有されたり切磋琢磨を繰り返していたわけで、
その全般に意味もあり、あらゆる波及効果ももたらしていた、と。

その点で今はどうか・・。
あらゆる「物」が、相当レベルでもう行き着いた感がある気がしますね。
どこを観ても「完成品」で埋め尽くされ、知恵が入る隙間は殆ど残されていない・・
僅かにあったとしても、それに力を注ぎ四苦八苦することのコストパフォーマンスとして、
「利に合わない」という“損得勘定”が先ん出てしまうという・・

“ちょっと足りない”ぐらいの方が、実は人間工学的にも「心地よい」と思うわけです。
その足りなさに、向上心・創造性・想像性というヒューマンファクターが働く・・

今あるのは、完成品に対しての「評価」だけ。
自分に合うか合わないか、自分にとって使えるか使えないか・・
これは物質的なものだけじゃなく、文化面等あらゆる面で共通していると思いますね。

恋愛面なんかもそうで、築き上げていく過程に本来の醍醐味があるわけで、
成功する幸福感の反面、挫折したりしくじったり、泣くことも凹むことも全てが本質。
そのリスキーさを避け、無難さや「完成された相手」、「恋愛の完成形」を望むあまり、
恋愛への積極性や冒険心さえ育まれないという・・

それら考えると、今は遥かに利便性が高まったようで、実はそのせいで窮屈になり、
不幸感さえも生んでしまってるかもしれませんねぇ。

あらゆる完成品を研ぎ澄ましていくことが、これからは求められるのだろうと思うけれども、
ガチガチに完成されたものを研いでいくってのは、これまた大変で難しいので、
その点で今の若い世代には同情的になってしまうし、次代への『隙間』を
あえて残しておかなかった、自分含めた上の世代は罪深いと思うわけで。

これからはどうなんだろう・・。

やはりハード(硬質の意)よりソフト・・
スロウフードやスロウライフにある「スロウ」について、
若い感性でもって再構築していくことが、長い目で観ても絶対に良いのじゃないかな。

『人間らしさ』は、上の世代が基軸とするものじゃなく、与えられるのではなく、
今やこれからを生きる世代らが自ら作りあげていく・・
それが重要になるんじゃないかと思う次第であります・・。


「就活楽そう」「バブル」……平成生まれの大学生が「昭和」をうらやましく思うこと
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=121&from=diary&id=3836746
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