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2016年02月02日08:18

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【アメリカ大統領選挙】 格差・難民・銃規制……注目点を考える。

■米大統領選2016(下)予備選は“歴史的”接戦? オバマ政権とは何だったか
(THE PAGE - 02月01日 20:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=3831666


【民主党・サンダース候補】

 長―い米国大統領選挙の予備選が、いよいよ始まりましたね。
 私が今、ちょっと気になっている候補者が、与党・民主党のバーニー・サンダース上院議員です。民主党候補には、知名度抜群のヒラリー・クリントン候補(前国務長官)がいる訳ですが、直近の調査によれば、クリントン候補の支持率が45%、サンダース候補の支持率が42%で、その差は3%。ほぼ誤差の範囲と言って差し支えないでしょう。クリントン候補側に失点(公務に個人用メールアドレスを使用していた)があったとは言え、ここまでの接戦になるとは、私のような門外漢はもとより、米国通の方の予想をも覆しつつあるのではないでしょうか。

 で、私が何故、サンダース候補が気になるのかと言いますと、彼が「貧困の解消、格差是正を訴えて、主に若年層の支持を集めている」とされているからです。
 私が知る限りにおいて米国は資本主義の本丸であり、富裕層と貧困層との格差は世界屈指である筈です。そして米国は、これまで基本的には、それを「是」としてきた国家だと思います。米国に於いて「平等」とは「結果の平等」ではなく「機会の平等」であり、結果として富める者と貧しい者とに分かれるのは必然である、ということは、よく聞くところであります。(なにかと米国追随型の日本社会も、かなりそれに近いものの、良くも悪くも米国ほどに徹底的ではありません。)その代償、と言うわけではないのかも知れませんが、米国には寄附やボランティアといった文化が一方で確立しており、成功を収めて巨万の富を築いた者は、こうした行為を通じて社会にその富の還元を図るわけです。
 こうした米国社会において「貧困解消・格差是正」というサンダース候補の訴えが一定の支持を集めているということは、「機会の平等」という米国流にも許容限度があり、その限度を突破しつつある、という危機感が米国国民、特にサンダース候補を支持すると言われる若年層に広がっている、ということなのでしょう。
 米国の富裕層というのは、それはそれはビックリするほどの大金持ちらしいです。日本の高級官僚も、日本国内では成功者であり勝ち組(ということは、全世界レベルで見ても勝ち組)であるわけですが、そんな日本の高級官僚が米国に行って富裕層の屋敷や暮らしぶりを見ると、あまりの豪華さに仰天するのだそうです。それだけ、米国の大金持ちというのは桁違いであるわけですね。
 そこで日本の高級官僚は考えるわけです。日本では勝ち組である自分から見ても、米国の金持ちは桁違いだ。それは即ち、社会の違いだ。日本も米国のような社会を目指さなければならない、と。そうして、前述のような米国追随型の日本社会が出来上がるわけですね。
 この米国追随の動きは、古くは敗戦直後の「ギブミー・チョコレート」時代?に端を発するのですが(幕末〜戦前だと「欧米追随」になってしまうので、はっきり「米国追随」になったのは戦後だと思います)、最近では小泉純一郎首相在任時代(2001〜2006年)前後の印象が強いですね。やれ「自己責任」だの、やれ「ペイオフ解禁」だの、やれ「構造改革」だのと騒がしかった時代です。
 しかし、先行する米国は既に、算出不可能なまでに格差が拡大し、当の米国国民、特にその未来を担う若年層から「NO」を突きつけられる形になっている訳です。となると、これを追う形の日本も、このまま米国の轍を踏んで良いものか、思案のしどころではないでしょうか。


【共和党・トランプ候補】

 一方の野党・共和党では、お騒がせ男のドナルド・トランプ候補(不動産事業者、テレビ司会者)がリードを保っています。
 日本人である私にクレームをつけられる謂われなど、トランプ候補には無いでしょうが、個人的には「あろうことか、トランプなる輩がリードしている」ぐらいに書きたい気分です。今、書いちゃいましたけど。
 ただ、トランプ候補のような極端な人物は、どの時代・どの国家にもいるもので、それ自体は別に驚くことではないのです。私も最初にトランプ候補の名と、その言動を知った時には「ああ、どうせ泡沫候補で終わるだろう」と多寡をくくっていた始末でした。気にしていなかったのです。

 ただ、トランプ候補のような人物はどこにでもいるにせよ、そんな人物が現在の米国に於いて支持を集めている、大統領になる可能性も十分にある、となると、これは話が異なります。
 まず、トランプ候補はイスラム教徒(の難民・移民)の入国を一時的に禁ずべし、と打ち出しました(昨年12月)。「イスラム教徒」と名指しすることは、信仰の自由という原則にもとりますし、イスラム教徒は即ちテロリストである、という偏見を与えます。それどころか、今現在、既に米国に在住しているイスラム教徒に対する排斥をすら、煽りかねません。当然のことですが、在米イスラム教徒の全てが外国からの最近の流入者なのではなく、中には、それこそ生粋のアメリカ人で、信仰の自由に基づいてイスラム教を信仰している方も大勢いる筈です。「イスラム教徒はテロリスト」と言わんばかりのトランプ候補の発言は、米国国外にいるイスラム教徒に対する侮辱であるばかりでなく、米国国民であるイスラム教徒の安全を脅かすものですら、あるのです。ちょっと古めのデータで恐縮なのですが、21世紀初頭の時点で在米イスラム教徒は六〇〇万〜七〇〇万人。米国人口が三億一七〇〇万人ですから、全体の2%ほどになります。その約半数がアフリカ系アメリカ人と言われます。アフリカ系アメリカ人の方が、今でも米国の一部で人種差別を受けていることは、しばしば報道で目にするところですね。
 トランプ候補の支持者が、この「イスラム教徒の入国一時停止」発言に喝采しているニュース映像を、私は複雑な思いで観ました。述べたように、この発言は米国内外のイスラム教徒を侮辱し、更に差別と危険に陥れるという意味で許せないと思います。しかし一方で、難民・移民を大量に受け入れたドイツが、現在どのような事態を招いてしまっているか。それを思えば、難民・移民受け入れ停止を歓迎する米国の人々を責める気持ちにもなれません。否、それどころか、

 「日本人が、のほほんと今日を過ごせているのは、日本が難民をほとんど全く受け入れていないからだ」

と指摘されたら、我々に返す言葉があるでしょうか。2014年に日本が難民認定したのは、年間で僅か11人(難民申請は約五千人)、2015年も27人(難民申請は約七千五百人)を数えるのみなのです。
 日本がイスラム教徒をはじめとする難民・移民を受け入れても事件やテロは増加しないかも知れない。しかし、増加するかも知れない。それは、事実として受け入れていない以上、確認のしようがないことです。

 「お前たち日本人はイスラム教徒の難民を受け入れず、自分たちだけ安全に生活しておきながら、我々米国には受け入れろと言うのか」

と非難されたとして、十分な反論が出来るという日本人は、なかなか居ないだろうと思います。ですから、私は複雑な気持ちになったわけです。
 ドイツを筆頭としたEU諸国が今後更に難民・移民を受け入れるのは困難だろう、というのは明白です。となれば、米国を目指す難民・移民が増えていくであろうことも明白です。自国アメリカを守る、その為には手段を問わない(対立候補陣営から批判されたり、国内の少数派=在米イスラム教徒から反発を喰らったりしても良い)とするトランプ候補の姿勢が、善悪は別として、一定数の米国国民の心を掴んでいることは、否定できない事実でしょう。

 トランプ候補は又、「強い米国」を打ち出しています。「強い」というのは、経済的な意味において世界の主導権を手離さない、という意味なのかも知れませんが、どうも私には、もっと即物的な意味での「強さ」を訴えている気がしてなりません。
 トランプ候補は、誰と比較して「強い米国」と言っているのでしょう。勿論、彼の当面の敵は共和党内の対立候補ですし、その上で民主党のクリントン候補かサンダース候補を相手どる可能性があるわけですが、彼が「大統領を目指す、野党側の候補」であることに思いを致す時、その相手は現職のオバマ大統領なのではないか、と私には思えるのです。
 オバマ大統領は現在、銃規制に執念を燃やしています。先日(1月5日)のニュースでは、涙を流して銃犯罪撲滅、銃規制の強化を訴えるオバマ大統領の姿を目にしました。ああ、そう言えばオバマさんはノーベル平和賞受賞者(2009年)だったっけ……。すっかり忘れていましたが、そのヒューマニズムに溢れる演説によって、久しぶりにオバマ大統領の人間性に触れられた気がします。
 ですが、銃犯罪によって生命を散らした被害者とその遺族に思いを馳せ、落涙で演説の中断にまで至ったオバマ大統領の姿は、日本人の私にとっては感動的であっても、米国国民の目にはどう映るのか。

 弱い。そう見えると思います。

 米国国民は、力強い指導者を求めます。その傾向が、日本や他国と比べても強いような印象を抱いているのは、私だけではないでしょう。トランプ候補は、はっきりとその点を意識し、アンチ・オバマ大統領の意味で「強い米国」を主張していると私は考えます。
 トランプ候補は銃社会に賛成の立場です。パリのテロ事件に関しても、

 「(パリの)民間人が武器(銃)を持っていれば、事態は違っていただろう」

という趣旨の発言をしています。
 強くあれ。自分の身は自分で守れ。トランプ候補は、そう主張するのです。それが個人であれば、犯罪者に対して銃を向けることであり、国家であれば、軍事力をもって外国に対峙することなのでしょう。そして、その主張が一定の支持を集めるのが、米国の現実でもあるのです。それが証拠に、オバマ大統領が執念を燃やしているにも関わらず、米国の銃規制は遅々として進まないではありませんか。銃規制に反対・反発する勢力がそれだけ大きいということです。
 米国では、年間一万人もの人が、銃犯罪で亡くなっています。2015年には、四人以上の死傷者を出す大量殺人事件が三三〇件も発生したそうです。ほとんど毎日発生している計算になりますね。しかし、トランプ候補やその支持者らは、一万人の犠牲者とその遺族の願いよりも、自らを守れるだけの強さ(銃)を選ぶのでしょう。六〇〇万〜七〇〇万人の在米イスラム教徒を軽んじるトランプ候補が、一万人の生命を惜しむと考える方が、無理なのかも知れません。(いや、彼に言わせれば「その一万人は、銃を所持していれば助かった」ということになるのでしょう……犠牲者には子供だって含まれるのですが……。)
 言うまでも無く、米国は軍事的にも、日本と強固な同盟関係にあります。仮にトランプ候補の考えが支持され、その結果として彼が大統領の座につくならば、日本政府や自衛隊に求めてくるものが如何に変わるか、その事に思いを巡らす必要がありそうです。


【おわりに】

 米国は、経済的にも軍事的にも、比類するものとて無い世界随一の超大国です。その大統領の影響力は、はかり知れません。米国大統領選挙の結果に無関係の人間など、この地球上には存在しないのです。
 ですが我々日本人には、大統領選への投票権はありません。ですから、米国有権者が賢明な判断を下してくれることをひたすら祈り、注視していくしかないのです。
 長い大統領選が始まりました。注意深く、見つめていきましょう。そして、日本社会のあり方を、重ね合わせて考えようではありませんか。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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