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2016年01月19日20:30

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『卜全の奇跡の水』→中身はコーヒー(土屋嘉男談)

カラオケに行く前にチェック!音痴でもそれなりに聞こえる歌とは?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=3810397

とっさに思いましたよ左卜全の『老人と子供のポルカ』だってこと。
https://www.youtube.com/watch?v=LZZk0tP49H8

『生きる』と『どん底』で見た目と違う素晴らしい演技を見せてくれたあのおじいちゃんがこんな間の抜けた歌を歌っていたなんて。ウィキでも

1970年(昭和45年)2月10日に、劇団ひまわりの子役で構成された「ひまわりキティーズ」をバックコーラスに添えた「老人と子供のポルカ」(早川博二作曲)を発売。同曲は当初経済評論家の小汀利得が歌う予定だったが没案となったため、急遽卜全が代役で歌うことになった。これが40万枚[7]を売り上げる大ヒットとなり、76歳当時「史上最高齢の新人歌手」として話題になったが、卜全は買取契約をしていたため20万円しか支払われなかった[7]。翌年には「拝啓天照さーん」を録音したが、直後に卜全が死去したためレコードはほとんど流通しなかった[8]。
卜全は「老人と子供のポルカ」はヒットするとは全く考えておらず、ヒットしたときのインタビューでも「ありゃもうおしまい。5月までじゃな、アーハハ」と、余裕の表情だったという。
なおも歌の収録が決まっていた時は特に体調管理に気をつけており、収録の1週間前から当日までクロロフィルを欠かさず飲み続けていたと言う。
「老人と子供のポルカ」のレコードの収録の際、卜全の歌い方が遅くて演奏やひまわりキティーズの歌声と全然噛み合わず、何度も録り直しをして6時間かけてようやく収録している。しかし卜全自身は疲労を見せるどころか全く平然としていたと言う。テレビ中継や収録で歌うときも口パクを嫌って地声で歌っていたが、演奏と歌がなかなか噛み合わず、演出担当者が指導しようとすると「機械のほうで俺に合わせろ!!」と啖呵を切り、マイペースで歌っていたと言う。そこで演出担当者は歌が途切れそうだった時はミキサーを調整して流すと言う手法を使って本放送を凌いだと言う。啖呵を切る一方で本番で歌い終わった後は必ずスタッフ全員に「皆さんお疲れさんでした」と労いの言葉をかけてから帰ったと言う。ト全の人柄が偲ばれるエピソードである。
卜全の葬儀の際には「ひまわりキティーズ」のメンバーも駆けつけ、「老人と子供のポルカ」の大合唱で卜全を葬送した。

なんてある。
あとは 上手い× 下手× てつを◎で唄う『仮面ライダーBLACK』です
https://www.youtube.com/watch?v=wjritGV2MGA
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