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2016年01月18日22:09

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真田丸の人々・・・

NHK大河「真田丸」第2回で視聴率20%に乗せる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=3808423

久々に日記を書いてみる

自分は、歴史モノのテレビが好きで戦国ものには目がない・・・
そこで、今回はNHK大河「真田丸」・・・で、あまりスポットが当たらないであろうexclamation & question人物を書いてみるわーい(嬉しい顔)

武田勝頼1542〜1582
(配役 平岳大) 武田家20代当主・武田信玄の四男。

信玄死後、父以上の勢力拡大を目指して積極的な外征を実施する。
長篠の戦いで織田・徳川連合軍の鉄砲鉄砲3,000丁を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべもなく大敗。信玄から仕えた優秀な家臣が討ち死に・・・この中には、真田昌幸の兄・真田昌輝も戦士している・・・

しかし、1582年信玄の娘婿の木曾義昌が織田に寝返ったことで信長の武田征伐がはじまる
西から織田軍、南から徳川軍、東から北条軍に攻められ、重臣・穴山信君や小山田信茂が離反、天目山で自害した享年37。これによって、450年の歴史を誇る名門・甲斐武田氏は滅亡した。

武田家を滅亡させたとして、後世の歴史家の評価は厳しい・・・

しかし、織田信長や上杉謙信が書状において勝頼を武勇に優れた武将として評価している。
なので、決して凡庸な主君ではなかったのでは・・・?と思います

穴山信君(梅雪)1541〜1582
配役 榎木孝明

武田家の重臣、二代に渡って、主家、武田家と婚姻関係にある。信君の妻も信玄の娘である見性院であるから、一門衆である。

しかし、織田軍が侵攻してくると、徳川家康の誘いにのって、主君を裏切る。そして、その所領は安堵された。しかし、彼の運命は本能寺の変で一変、家康と京都にいた信君は家康と共に畿内を脱しようとするが、その途上で一揆の襲撃を受け死亡した。
主君を見捨てた報いか・・・


小山田信茂1539?〜1582
配役 温水洋一

武田氏の重臣 小山田隊は投石隊を率いていたといわれる。信玄の西上作戦では先鋒を務めた。長篠の戦いでは、敗走する勝頼の身辺を警護し、退却したという。

しかし、織田軍が侵攻してくると勝頼が自分の領内に退避するさなか、離反、領内の道路を封鎖した。その後、勝頼は自害した。

しかし、織田・徳川勢により甲斐が平定された後、信長に拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。
因果応報か・・・


滝川一益1525〜1586
配役 段田安則

織田家の重臣、信長に仕えるまでの半生は不明、「先駆けは滝川、殿(しんがり)も滝川」と称され、織田四天王の1人として数えられた。

伊勢攻略、長篠の戦いに参陣、長篠では鉄砲隊の総指揮を執る。
武田討伐と関東鎮定にも参加、信長の領土は、中国、近畿、中部、関東の一部にまで及ぶ、

しかし、彼の運命も本能寺の変で一変、信長の死を知った北条氏が侵攻、上野を奪われ、命からがら、逃げ帰る、これによって、織田家での地位は急落、その後も、時勢を読めず秀吉と対立、そして敗れて所領を没収され出家して、秀吉に許しをこうハメに・・・その後病死した。

なんとも、ついてないときは、とことんついてない・・・いい例かも泣き顔
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