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2016年01月16日12:47

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全国一律の点数で、全国の大学を見事に序列化。文部官僚恐るべし。

こんな無駄なしかも単純化された数字で大学間の序列を生み出すだけの国立試験なんか無駄。大学教員なら自分たちの求める学生を求める試験問題を作り、求める人材を採り、その問題の質を広く各層の国民に議論させる旧制度に戻して欲しい。私の時代、こんな馬鹿馬鹿しい、文科省の天下りが支配する下らない国家試験プロジェクトは存在しなかった。大学受験では、理科から四科目、社会から4〜5科目、その9科目から16〜18題が出題され、試験会場で理社それぞれ4題を選ぶという楽しいものだった。2次試験はひたすら書かせる問題だった。その方がまともな人材が採れたのではないか?
自分の行った大学は理系でも語学能力の配点が大きかったし古文漢文まであったので、英語や国語は苦手、でも理数系は得意、と言う人は工業系を自分で選ぶこともできた。
 どこを受験するかをこんな馬鹿げた国立全国統一試験の点数で機械的に決めるような馬鹿教師はだれも相手にしない、そういう時代だった。
 聞くところによれば、もっと昔、団塊の世代が学生運動などで頑張っていた時代には、大学受験でも音楽や保健体育の知識までが記述試験で試されていたという。
 だからかどうか、そのころの大学生は、大学でクラシック音楽だとか、西洋美術などのかなり高度な談論が活発だったと私も子供時代に感じたものだった。
 いまや、大学は、各省庁の植民地。
中央省庁で出世街道から漏れた人が左遷されるのが、「大学教授。」
そのほかに寄附をしてくれた企業の人が派遣されてくる「教授」もいる。
他方で、バカだけれど威張っている大物教授に正論をぶつけると、徹底的に追放されるので、今の大学教授は異常なほどに二流化している。
 欧米人が集まる勉強会では、白人たちは日本の大学教授の馬鹿さ加減をげらげらと笑い転げながら次々に具体的な例を挙げて、盛り上がる。
 日本の教育には徹底的な改革が必要だと思う。
ドイツは、第二次世界大戦で国家を滅ぼされ、4大国にばらばらに分割占領された。
しかし、このときに、全ての権限は4大国に召し出しますから、自国民の教育だけは、自分たちの各州の自治に任せて欲しいと懇願。
これは、戦後秩序の方向にもかなった要請だったので、これは100%認められた。
これがその後、ドイツの教育水準を維持する大きな原動力になったと言われている。

他方で、我が祖国は、帝国軍人とアメリカ傀儡にあっさりと宗旨替えをした帝国完了たちが、「天皇を守るなら、あとはアメリカさんの自由にしてください。日本の貴族の女性も慰安婦として差し出します」と提案して、これを実現させることに大いに協力することで、戦後の支配層に成り上がっていった。

日本はいつになったら、目覚めるのだろうか。



センター試験 693会場で始まる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3806256
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