海自自殺未遂、防衛相が謝罪
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海上自衛隊呉基地(広島県呉市)に停泊中の潜水艦内で2013年9月に拳銃で自殺未遂をした2等海尉の男性(42)の両親が、国に3000万円の賠償を求めて提訴することに関し、中谷元(げん)防衛相は13日、衆院安全保障委員会で謝罪した。「上司から暴力を伴う不適切な指導があり、自殺未遂に至らしめてしまったことは誠に申し訳なく、心からおわび申し上げたい」と述べた。
中谷氏は事案の概要を説明した上で、男性に暴力を振るうなどした上官ら3人の懲戒処分を公表していなかったことについて「男性の家族から公表を望まないとの要望があった。訴訟の公表を受け、概要を発表する予定だった」と説明した。
海上自衛隊の事故調査委員会が報告書を3回まとめていることも明らかにし、防衛省側は報告書の国会提出を検討する意向を示した。中谷氏は「今後は、このような暴力を伴う不適切な指導が起こらぬよう一層服務規律を厳正にし、再発防止に努めてまいりたい」と述べた。【町田徳丈】
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昔は陸軍が身内にすごく甘くて、命を戦場で預ける者同士ってのもあるんだけど、それは不祥事が起きたり、違反が起きても、刑罰は弱かった。二・二六事件、515も同様だった。
事件が起きないようにするのはとても大切だ。だがもっと大切なのは起こした人間をいかに処罰するかである。韓非子の慧眼は今も同様に正しい。
戒めるためには罰則しかない。可能な限り強い罰則である。そうしなければ人間は動かないと看破した偉さがある。
それは人間が善だからそうするのではないし、悪だからそうするのでもない。性善説とはすべて人は善と理解する素地があるという事だし、性悪説とは、すべての人は悪事を行うことができるという意味だ。
どちらに触れるかなどそのとき次第だ。つまりその状況になってみなければ分からない。ゆえに罰則がある。罰則があることで思いとどまるものがいるかも知れない。100人のうちに一人でも思いどどまるなら存在する価値がある。
だから緩すぎる罰則は、結局のところ、人を押し留める力を失うだろう。その弱さは必ず次を生み出してします。災いの連鎖を断ち切るのに強い意志が必要なように、次を起こさないためには、それに匹敵するだけの罰則が必要といえよう。
これぞスターリニズムである!!(うそ)
つまり、この海軍の処分は恐ろしく軽いだろうということ。これではその次を防止できない。よって、「服務規律を厳正にし、再発防止に努めて」は口先だけである。次に同様の事件がおきても、この大臣は何食わぬ涼しげな顔で政治家面しているだろう。
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