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2016年01月14日22:30

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調査で判明「男は脈あり意識」過剰

調査で判明「男は脈あり意識」過剰
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今年こそ彼女をつくりたい! 新年を迎えて、そう胸に決意を秘める人も少なくないのでは?

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しかし、決意を新たにしたからといって、急にイケメンになれるわけではないし、これまでの非モテ人生を一変させるのは簡単なことではない。せめて、心構えや戦術面で、即効性のある手はないだろうか? 心理学者の内藤誼人先生に聞いてみよう。

「魅力というのは一気に引き上げられるものではありませんが、たとえば米オークランド大学の心理学者ジャスティン・モジルスキ氏が発表しているデータは、1つの参考になるかもしれません。モジルスキ氏は複数の被験者を対象に調査を進め、人は長期的な付き合いを望むパートナーには『誠実さ』を求め、短期的な付き合いを望むパートナーには『外見』や『経済力』を求める傾向があることを実証しました。つまり、外見などに自信がない場合は、誠実さで勝負すれば、結婚まで視野に入れた素敵な相手に巡り会えるかもしれません」

誠実さはある程度、意識的に演出できる部分もあるはず。たとえば礼儀や気遣いを徹底し、常に真心のある対応を心がけることで、相手に“長くお付き合いするにはいいかも”と思ってもらえるかもしれない。

ただしその反面、男は脈の有無についての判断を誤りやすいので注意が必要だと、内藤先生は警告する。

「こちらはニュージーランドのヴィクトリア大学の心理学者、ガース・フレッチャー氏が発表したもの。フレッチャー氏は男女各50人ずつにペアを組ませて、それぞれ10分間ずつ会話させました。その後、『相手にどのくらい好意を持たれたか?』とアンケートを取り、実際に得られた好感度を比較分析したところ、男性は過剰推定、女性は過小推定する傾向が浮き彫りになったというのです」

つまり、男性の場合は“イケる”との感触を得ても、それはたいてい勘違いと心得るべき。慌てて攻め落とそうとせず、誠実な対応を徹底し、じっくり距離を縮めていくことで、良縁に恵まれることもあるかもしれない。
(友清 哲)
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ひとりの女性に一生愛をささげると心に消えたのでなければ、例えばキルヒアイスのようにね、この考えはおかしい。こういうものは確率の問題として考えるべきである。

女性と接近するという問題を考えたとき、それは二点間の距離として考えられる。つまり、望ましいのは、 A-B =0 (A と B の距離は0)が求めるべき解である。

そこで当然だが、ある時間当たりの移動量をCとすると、A-B>C という二人はまず出会いがない。人生のすべてをかけても距離が0とならないのなら、対象外にすべきである。

これが恋愛における第一法則、距離的に遠い場所のふたりは結ばれない、である。

時間問題、つまり、自分の寿命の間に出会えない場合、これはどうしようもない。が時間は本質的には距離に変換できるから、これは第一法則に含める。

次に出会いの確立である。A-B<C を満たしても数がべらぼうであるため、どれとどれが結びつくかはわからないのである。もちろん、時間が無限であれば、すべてと結びつく可能性がある。

しかし限られた時間内にどれかとくっつくためには、数が多いほど有利である。つまりこれが恋愛における第二法則、チャンスが多いほど可能性は高いである。

イケメンの優位性とはチャンスが多い点である。しかし逆に言えばそれしかない。そのチャンスの中から選択がどうであるかは、これはまた別の話である。

そこでチャンスを多くするために、人類がとった戦略は、たとえ勘違いでも、“イケる”との感触を得ることである。イケるという感触を得ても、同然ながら、性格によって、でも勘違いだな、と引くケースと、thunder Bird Are Go 状態で出動しちゃう場合がある。

とうぜん、出動するほうがいいのである。なぜなら距離を縮めるのは常に、有利だからだ。仮に相手から嫌われても、確率だけを考えれば、別の相手にいけばよい。

「たけしのコマ大数学科」で行われていたお見合い問題/鳩山由紀夫と「見合いの数理」である。

数うちゃどれかに当たるが、問題は最後の一回に賭けるのかという話になる。最後の一回とは成功したらそれが最後の一回になる。よって常に最後の一回であるとすれば、とにかく行くのがよろしい。

しかも人界においては、最後の一回は最後の一回ではない。離婚という切り札があるのだよ、げーる君。

すると基本的に常に最後の一回として行動すればよい。その場合、うぬぼれだろうが、誤解だろうが、行かなければ0%、行っても0.1%だとしても、この間には0.0999999・・・・もの差がある。これは大きい。

では、そうしない理由は何だろうか。もちろん人間はコミュニティから抜けられる存在ではない。よって、悪評が立つことは戦略上、得策とは言えない。狭い世界にいれば、悪評を気にしなければならない。しかし、広い世界であれば、悪評がたっても、別のところにいけばよいのである。

しかも悪評は、マイナスから始められる特権でもある。確率論から言っても、心理的に言っても、普通に(普通の定義は難しいが)良い人間であるならば、これは優位性を確保できるのである。

残された問題は常に特定の相手を限定する時だ。よく、百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝るというが、残念ながらそのような砲はない。しかし、これは百発百中を前提とした戦略であり、ほとんど運だけに任せた戦略である。

そのようなものに託すのは自然の理から言えば愚である。しかし、人間は愚であることが、決して不幸ではないという恐ろしき不合理がある。

つまり、これが恋愛の第三法則である。二次元であろうが、幻想であろうが、恋愛の成就にかかわらず、人は恋愛によって多幸感を得ることが可能である。これはリア充といえども不幸を感じる場合があることと同義であることが証明されている。

もし心の中にそれをそれを押し留めようとする圧力があるなら、その理由と向き合う方がいい、その理由が、もし間違っていようとも理解することは、決して損はしないのである。さらに、もし誤解であっても、それは小さな問題である。

もともと恋などというものは誤解や嘘から始まるものだからである。

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