さきほど新聞社という存在について書きましたが、今度は放送局です。
水島宏明さんという日テレの記者・ディレクターだった方が、国谷裕子さんの「クロ現」降板について述べていました。
水島宏明 2016年01月10日 13:39
「国谷キャスター降板」に異議あり! ちょっと待ってほしい!!
http://blogos.com/article/154107/
水島さんは国谷さんを、菅官房長官に安保法案についてインタビューした時の様子について、「短い時間に、あれほど相手を「理詰め」で追い詰めていけるキャスターを私は現在放送されているすべての報道番組を見渡しても見つけることはできない。あのワザは並のキャスターではできない」と持ち上げています。
私自身はあのインタビューを詳細に聴いたけれど「それほどだったかな」という印象です。
ですが、政権担当者に臆することなく国民が持っている疑問をぶつけた姿勢は「最近の報道番組では貴重な存在だ」と感じはしました。
それほど、放送局の報道番組は、過ぎるほどに安倍政権に気を遣い始めています。
折しも、古舘伊知郎キャスターの降板が伝えられ、後任に局アナの富川悠太さんが収まることになったそうです。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/08/hodo-station-new-anchor_n_8936784.html
報道ステーションもいよいよ「どうでもいい番組」になるかなと思いました。若いサラリーマンがキャスターになっても、古舘伊知郎ほど大胆な問題提起はできないだろうと思うからです。
キャスターがジャーナリスティックな視点で問題提起をするには、自身でよく勉強をし、視聴者の反応を見ながら政権に刃を突きつけるバランス感覚が必要です.。古館氏は実にそこを意欲的にかつ細心の注意を払って進んでいたと思います。
でも、若手サラリーマンという身分では経営上層部からの意向にウェイトを置かざるをえなくなり、バランスは政権批判から遠くなります。
話をクロ現に戻すと、国谷さんの後にだれが類似の番組を引き継ぐのかというと、、やはり局アナなのでしょう。
思い起こすと、クロ現がBPOに訴えられて「やらせ」インタビューを指摘されたことは、正直のところ、そんなに責めることかという感じです。まあ被害を受けたと称する「ブローカー」氏の被害がどれほどのものか疑問だからです。顔も出さず声も変えていたので、誰だかわかるのは関係者以外にいないからです。
でも、政権は「放送法4条」とやらを盾に総務大臣がNHKに「指導」をしたとのこと。ここぞとばかりに小さな穴をえぐってきました。
普段はクロ現から正当な情報と評価によって政権の政策を批判されてきたのでぐうの音も出せなかったからでしょう、このくらいしか攻め口が見つからなかったのかもしれません。
そもそも総務省が放送免許を取り扱っていること自体がおかしなことです。政権に生殺与奪の権を握られているのに、放送局がまともな政権評価ができるはずなどないのですから。
この矛盾した構造は我が国の放送免許制度の大きな欠陥です。
歴史を振り返ると、安倍政権前の歴代政権は、その放送免許権限をちらつかせつつも、報道番組に表立って圧力をかけることはしませんでした。
おそらく、放送局の「報道の自由」について理解があったでしょうし、その理解のあるところを見せようという「見栄」もあったでしょう。もしかしたら、放送免許取り上げを表立ってちらつかせると、その矛盾構造が国民に知られてしまうと恐れたのかもしれません。
ところが、安倍政権が違うのは、報道機関に圧力をかけることをためらわなくなった点です。
なぜ従前の政権とこのような違いが出てきたのでしょう。
原因は、政権側と報道機関側にあるように考えます。
まず、政権側について言うと、報道機関に圧力をかけることが悪いことであるという建前を知らない「無知」な政治家が増えたということです。特にそんな当たり前の知性のある人は、政権与党のメンバーでも中枢には呼ばれなくなったようです。以前、広告主を通じて報道機関に圧力をかけよう、と言ったバカ手もとい若手政治家がいましたが、政権内は、そういう会話が普通にかわされる雰囲気なのだろうと思います。
他方、報道機関側について言うと、その経営者たちに政権を批判する気持ちが喪失していったことがあるのかもしれません。現場が意欲的な記事を書き、また、丹念に取材・調査して番組を制作しても、発表させない、ということが起きています。
前の日記で、新聞社の報道を批判しましたが、こういう状況では放送局の報道も信用できないな、という印象を持ちます。
さて、私たちはどうしたらいいのでしょう。
たよりはネットメディア、あるいは、ネット民だけだという感じです。
mixiの住民の皆さん、頼りにしています。
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