mixiユーザー(id:3472200)

2016年01月08日01:32

68 view

>サウジアラビアもイランも、>宗派という要素は、両国が自らを正当化し、その政策や振る舞いへの支持を獲得するための大義名分として利用<そりゃそうだろうな  >

アサド政権とイランとの関係も、宗派的な親和性によって説明すべきものではない。なぜなら、アラウィー派という宗派は、イランの体制が信奉する十二イマーム派と呼ばれるシーア派とは全くの別物だからである。シーア派の高位の宗教指導者がアラウィー派をシーア派の一種と認定したのは1973年のことであり、それ以前、或は現在でもアラウィー派をそもそもムスリムとみなさない見解は根強い。従って、この両者は宗派が同じだから結びついているのではない。両者を結びつける理由は、イスラエルやアメリカとの対立・競合の中で統治体制を守り、そのために必要な安全保障環境や地域の秩序を醸成するための同盟者だからである。

同様のことは、サウジアラビアにも当てはまる。確かにサウジアラビアの王家は「二聖都の守護者」を自称し、スンナ派の盟主を自任するが、それはサウード家の王制を守ったり、国外に影響力を及ぼしたりすることを正当化するためである。

要するに、サウジアラビアもイランも、どこか遠くにいる「同じ宗派の仲間」に肩入れすることが自国の体制の安全を脅かす結果になる場合は、そのようなことからは早々に手を引くということである。

サウジアラビアやイランの振る舞いは、「自国の安全を守るため、なるべく自国の影響力を強化したい」という国家の行為としては普遍的な動機に基づくものと考えるべきで、信仰心や宗派的共感に基づく特殊な行為ではない。そして、宗派という要素は、両国が自らを正当化し、その政策や振る舞いへの支持を獲得するための大義名分として利用しているものと考えた方がよいだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takaokayutaka/20160107-00053182/
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年01月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31