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2016年01月04日13:05

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森の地名と祭祀

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 三島神社の鎮座する三島山は「森山・白幡山・大明神山」などと称されて
 「森山」が森町の語源と言われる。
 寛永三年(一六二六)の「森と向天方地境論争」(旧野尻家文書)によると
 古来両村の境(飯田荘・一宮荘)は、三島山の山頂であり、慶長五年の大
 水によって、山の西側(現在の町中通り)を流れた太田川が山の東側を(
 現在の位置)を流れるようになり、村境が川を隔てて東西に確定した。
 
 この「森山」の北を「森の上」、南を「森下」と呼び、室町前期応永年間から
 始まったという「事神送り」が森の祭りの起源とされる。毎年十一月、遠州
 の棹尾を飾る「森の祭り」はこの三島神社の祭礼であり、森町の人々の心
 の拠り所となっている。
 
 船具記事だいの元亀初年、森山の下にあった梅林院の宣旨全忠和尚は
 戦火を避け、森の旦那衆を引き連れて江尻(現在の静岡市清水区)に逃
 げた、その後梅林院は、三州慈康寺の末寺に下り、三島神社とともに徳川
 勢力下に置かれた。享保の末年梅林院は庵山の麓に移り、境内は山田家
 屋敷などに繰り入れられた。

 この三島山の下には天正十五(一五八七)年、徳川家康から駿遠両国鋳物
 惣大工職の御朱印状を与えられた山田七郎左衛門が屋敷を構え、付近にも
 岡野・松井などの小工と呼ばれる鋳物場を置く鋳物師街であった。
 また、近世森町村には「森の六軒屋」(後熊野修験の子孫)と呼ばれる庄屋
 兼森市場座商人が居り、仲町は白幡方加藤右衛門が森市場の上市を掌握
 し、森町の野尻太郎左衛門は下市の座長(天正五年森市場禁制願主)を勤
 めた。このほか太田方出 文三郎、守山の出鈴木五兵衛、西脇の出、安藤
 甲右衛門、同神谷清右衛門が代々村役を務めた。
 
 大明神山の社殿は戦国期の兵火によって焼失した。その後  長年間に社
 殿を再建したが、寛文元年の大火により再び炎上、寛文十二(一六七二)年
 に本殿を再建したことが棟札等の記録から明らかで有る。また、屋根の葺き
 替えなどの修理を繰り返したことも修理棟札等数枚に記載されている。

 平成八年三島神社本殿を町指定文化財に指定、虹梁、木鼻に施された渦
 若葉文葉などの彫刻は繊細で江戸前期に見られる寺社建築彫刻の共通し
 た意匠で、当時の職人の記録も残されている。

 遠州森町村 上下新町想定図
 
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