mixiユーザー(id:7273007)

2016年01月02日21:23

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正月なので酔って長駄文。読まんでいい。

あっ、酒が切れた。正月にこれはいかん、と近所の小さなスーパーに買いにいった。
客は小さな娘をつれた親子ぐらい。いろいろ買い物してたみたいだけど、娘が一人駆け出し、大きな冷凍庫を開けようとしているんだけど、力が弱くてなかなか開かない。やっと開けて、晩酌用なのかな?、大きな氷の袋を取り出し、両親に駆け寄り「ねえねえ、○○(自分の名前)が開けたの」
かわいい。この子にはきっと両親しか見えていないんだろう。
小さい子が手を繋いで欲しくて両手を上げて両親に駆け寄る姿とか、結構好き。この子には絶対的に信頼できるものがある、というのが見て取れるから。

もう20年近く前になるかな?NHKスペシャルで弁護士中坊公平というのをやっていて。晩年の彼は住専問題でかなり後味の悪い生涯を終えることになってしまうけど、それは置いておき、その番組で初めて、言葉だけしか知らなかった森永ヒ素ミルク事件の内容を知った。以下、記憶だよりなので間違いもあるかもしれないけど。
病弱で自称出来の悪い彼も、現場主義で少しずつ弁護士としての成功をおさめ始めたころ。初めにその話が来た時は、受けるべきかどうか、父親に相談したという。というのも、その当時そういった事件に携わるのはいわゆる左巻きの人達で、せっかく軌道に乗ってきた仕事が「アカ」のレッテルを張られることで失われることになるかもしれないから。
すると、父親にこう言われたそうだ。「公平、お前をそんなに情けない子供に育てた覚えはない。赤ちゃんに対する犯罪に右も左もあるのか」。
当時、国も森永もほんのわずかばかりの人を被害者認定し補償を済ませ、事件は解決したものとなっていた。(こういう構図は60年経った今でも変わっていないんだと思う)。事件から15年が経ち、被害者家族をまわり、話を聞くと、全然事件は終わっていなかったのだ。
母親たちに話を聞くと、国や森永を責めるものはなく、口々に自分を責めるのだという。
「乳の出ない私が母親になったのが悪いんです」
「近所の家では、ミルクを飲ませる時に舌を巻いたり手で払いのけたりするのを見て、ミルクを変えていた。私はそれをなんとかあやして無理にミルクを飲ませ続けたのです。気が付かずに毒を飲ませ続けた私が悪いんです」
そしてある母親はこういう。
「この子は生涯に3つの言葉しかしゃべれませんでした。それは、「おっかあ」「まんま」「あほう」です。「おっかあ」「まんま」は生きるために必要だろうと必死で覚えこませました。でも、例えこんな子でもわが子に「あほう」とは一言も言ったことがない。この子は外で遊ぶのが好きでした。でも決まって「あほう」といじめられ、家に帰って私の元で初めて泣くんです。この子はいじめられるのを気が付かないような子ではなかった。私はこんな子に「あほう」と覚えこませた、そんな世間が憎い」

そして中坊は国と森永をこう断罪する。
抵抗できる者はいい。悲しくて抵抗しようにも抵抗できない者にはどのような生きる術があるというのだ。赤ちゃんにとって両親こそが生きる全てであり、信頼する他ないのだ。唯一の生命の糧であるミルクに毒物を混入させた本件事案においてその責任を曖昧にすることは、人類に対する裏切りである、と。

子供にとって両親は全てなんだよな。
なんか、子供を見るとそんなことをちらっと思い出したりしてしまう。


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