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2016年01月01日20:41

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2015年12/29〜12/31南九州大周遊3日間

年末の南九州(熊本・鹿児島・宮崎)3日間の旅を満喫してきた。
暖かい日が続いて12月とは思えないくらいのポカポカ陽気でした。
12/29,新大阪7:12発<のぞみ>で博多には9:41着。ここからバス旅の始まり。
まずは日本3名城のひとつである、熊本城を見学した。
天正16年(1588)加藤清正は肥後北半国19万5千石の領主として隈本城に入る。
のち小西行長が領していた肥後南国も含めて、54万石の大名になった。
慶長16年(1611)加藤家改易、出羽庄内へ配流された。
寛永9年(1632)豊前小倉の細川忠利入封し以後、細川家は11代239年間続いた。
時を経て、明治10年(1877)の西南戦争の際には天守閣などが焼失したものの、
52日間の籠城に耐え、難攻不落の堅固な造りを天下に知らしめた。

人吉市に移動して、国宝の青井阿蘇神社を訪れた。
平成20年青井阿蘇神社5棟の社殿群は、熊本県で初めて国宝に指定された。
神社が国宝指定されたのは、九州では大分県の宇佐神宮本殿に次ぎ2件目。
茅葺の社寺建築としては、全国で初めてだという。特に「楼門」は見事だ。
次に、熊本県霧島神宮に参拝した。
すでに迎春準備が整っていた。展望台からの桜島の眺めがいい。
ここは慶応2年(1866)坂本竜馬とおりょうが新婚旅行で、高千穂登山の際、
訪れたという。ちょうど冒険家の田中陽希氏が、同じ日にここに来たという。
泊まりは、霧島ロイヤルホテルだった。

12/30,知覧を訪れた。現在は南九州市になっている。ここでは武家屋敷群
と特攻平和会館見学のどちらかを選べる。江戸時代、薩摩藩は領地を<外城>
と呼ばれる113の地区に分け、麓と呼ばれる武家集落を作り鹿児島に武士団
を集結させることなく分散して統治にあたらせた。知覧もその外城のひとつ
だという。ここは2007年に「美しい日本の歴史的風土100選」に選定された。

薩摩半島最南端にある岬、長崎鼻に向かった。イッシーで有名になった
池田湖、それに日本百名山・開聞岳△924mの眺めがすばらしい。
菜の花が満開で12月だというのに、春到来を思わせた。
指宿温泉に向かった。九州の5大温泉といえば、別府・湯布院・黒川・霧島
と指宿で、今回は5大温泉の2つを訪れたことになった。
ここでは「砂蒸し」を体験した。砂蒸しは海岸だとおもっていたら「指宿
フェニックスホテル」で体験した。指宿には平成16年12/31に開聞岳登山の際に立ち
寄ったが、この時は公共温泉だったので、砂蒸しは初めてだった。
屋久杉工房に立ち寄り、工芸品を買い求めて、ホテル京セラで泊まりとなった。

12/31,都城市にある芋焼酎「黒霧島」で有名な霧島酒造を見学した。
その後、日南海岸に向かい掘切峠で日向灘の展望を楽しむ。
ここの道の駅で、明日葉のソフトクリームは珍しくて、味も美味でした。
「鵜戸神宮」は断崖絶壁に建つ神社で神武天皇の父親である「ひこなぎさ
たけうがやふきあえず」のみことが祭神だという。次に「青島神社」を
訪れる。ここは読売巨人軍が宮崎キャンプで必勝祈願で訪れる所です。
ここからバスは九州自動車道を北上して、博多には18:20着。20:00発の
「のぞみ」で新大阪には22:28。自宅に戻ったら、新しい年になってました。

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