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2015年12月28日12:07

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(短編小説) 三つのオレンジへの恋




               三つのオレンジへの恋


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 冬がそこまで来て居た。11月初めのパリはもう寒く、私が着いてからは、灰色の雲が空を覆ふ、重苦しい天気の日が続いて居た。まるで、ボードレールの詩の様な天気だった。その11月のパリで、私は、一人であった。
 パリに着くと、私は、荷物を持って、カルチェ・ラタンに向かった。そして、なるべく安いホテルを探して、その一つに3日間、滞在する事にした。パリに3日滞在したら、いよいよ日本に帰るのである。ヨーロッパでの生活を終えて、日本に戻るのである。そのパリで、私には、やらなければならない事が有った。


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 カルチェ・ラタンは、セーヌ川の左岸に在る古い町である。そこには、古い大学が有り、かつて、その大学では、学生が、ラテン語で話をする光景が見られた。それが、この町が、カルチェ・ラタン(ラテン地区)と呼ばれた理由である。
 学生の町であるカルチェ・ラタンは、1968年の五月革命の際には、怒れる学生達が集結し、熱い言葉を語り合ふ場所と成った。しかし、今のカルチェ・ラタンに、そんな当時の空気は無い。今のカルチェ・ラタンは、学生と金の無い旅行者が多い、静かな、飾り気の無い町である。そんなカルチェ・ラタンの古びたホテルに、私は、滞在して居たのである。

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 ホテルの主人は、物静かな男性であった。フロントで私に鍵を渡す時、彼は、「古いホテルですよ。」と英語で言って微笑んだ。私は、「私は、古いホテルが好きなんです。」と、同じく英語で答えて微笑みを返した。彼の言葉通り、そこは、本当に古いホテルであった。私が、トランクを持って木の階段を上ると、階段は軋んで、軽く音を立てた。私の部屋は、その古いホテルの4階に有った。

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 私の部屋は、狭く、暗かった。窓を開けると、向かいの白い建物の窓が見え、その下には、カルチェ・ラタンの通りの一つが在った。眺めが良いとは言へなかったが、もとより、景色など期待しては居なかった。テレビは無く、ベッドの他には、小さな木の机と椅子が有るだけである。私は、その古く、暗いホテルの一室で、ヨーロッパを離れる前に、或る事をしなければならなかった。だが、パリ東駅からここにたどり着いて、四階までトランクを階段を歩いて運んだばかりだった私は、その仕事に取り掛かる気がせず、先ずは、ベッドの上に倒れたのだった。

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 それから暫くすると、私は起き上がった。そして、私は、コートを着て、部屋を出た。私は、フロントに鍵を置くと、ホテルの周辺を少し歩く事にして、外へと向かった。やらねばならない事は後にして、私は、町を歩きたいと思ったのだった。

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 黒い石畳、古い建物の壁、その壁に貼られたポスター、閉じられた窓、ホテルの看板、古本屋のショウ・ウィンドウ、花屋、カフェの椅子、街灯の横に置かれた黒い自転車・・・ホテルを出て、辺りを歩くと、町のあちらこちらに、私の好きなパリの裏通りの光景が見られた。カルチェ・ラタンには、佐伯祐三が描いたパリの光景が、今も生きて居る。そんなカルチェ・ラタンの風景を見ながら、私は、愛した女の事を考えた。


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 ヨーロッパを離れる前に、私は、彼女に別れの手紙を書く積もりであった。


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 ホテルに帰ったら、その手紙を書こうと、私は、思った。


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 ホテルに戻った私は、フロントに座って居た主人に、目で鍵を求めた。主人は、新聞を読んで居た。そして、無言で頷き、微笑むと、木の札が付いた鍵を私に渡した。私は、その鍵を持って、ホテルの古い階段を、ゆっくりと昇った。ホテルの階段は、先程ここに着いた時と同じ様に、ギーギーと言ふ音を立てた。その音を聞きながら、3階を通り過ぎようとした時、私は、3階の部屋の中から、若者達の声がするのを聞いた。それはドイツ語の会話で、何やら楽しげな会話であった。先程、ホテルに到着してこの階段を昇った時には、この部屋は静まり返って居た。私が散歩に出て居る間に、新客が来たのだな、と思って、私は、4階の自室に入った。 


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 私の部屋は静まり返って居た。私は、暗く成り始めた自分の部屋に電灯を点け、コートを脱いだ。そして、小さな机に向かって座ると、用意しておいた便箋を取り出し、手紙を書く用意をした。メールなど出す気は無かった。彼女への最後の手紙は、紙に自分の文字で書かなければならない。私は、そう心に決めて居たのである。 


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 白い便箋の前で、私は、ペンを握った。そして、その白い紙を見つめながら、彼女への最後の手紙の最初の言葉を考えた。だが、私は、どうしても、その手紙を書き始める事が出来無かった。 


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 私は、窓の外を見つめた。そして、窓の外を見つめながら少し考えると、ようやく、最初の一言を思ひついた。


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ーー僕は、今、パリに居る。ーー

  私は、彼女の国の言葉で、そう書いた。そして、続けてこう続けた。

ーー僕は、ヨーロッパでの最後の数日をここで過ごし、ここから日本に帰る事にした。そう。君と出会ったこの街で、最後の数日間を過ごす事にしたのだ。ーー

  だが、そこまで書いて、私は筆を止めた。
     


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 書けなかった。私は、その後の言葉を書く事が出来ず、手を止めて、部屋の壁を見つめた。   


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 部屋は静まり返って居た。ここが、カルチェ・ラタンの一角であるとは思へない静けさだった。自分は、本当にパリに居るのだろうか?と、すら、思えてしまふ静けさだった。その静けさの中で、私は、最初の数行だけを書いて、続きを書けなく成ったその便箋の上に目を落とした。   
     

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 その白い便箋を見ながら、私は、失った物の大きさを知らされた。私の心に、彼女と初めて会った日の事が浮かんで来た。その時の彼女の表情が、そして言葉が、まるで、もう一つの現実の様に、私の心に浮かんで来るのだった。目の前の便箋を見つめながら、私は、そうして浮かぶ過去の甘美な思ひ出に、一瞬のはかない幸福を感じる自分の心をどうする事も出来無かった。 
     

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 もうあの日には戻れないのだ。私は、自分にそう言った。そして、私は、日本に一人で帰るのだ。私は、目の前の便箋を見つめながら、そう、自分に言ひ聞かせた。
     

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 何と書こうか?私は、考えた。そして、便箋に、或る言葉を書こうとしたその時であった。階下の部屋で、突然、爆発する様な、大きな笑ひ声が響いたのである。私は、思はず、ペンを持った手を止めた。それは、まるで、私が、これから書こうとする言葉を笑ふかの様に起こった、爆笑だったのである。     
     

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 その爆笑に、私は、字を書けなく成った。私が手紙を書き始めようとした瞬間、その大きな爆笑が起きた為に、私は、自分が笑はれた様な錯覚に襲はれたのだった。私が書こうとして居る言葉は、そんなにおかしいだろうか?と、私は思った。


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 彼らは、又、爆笑した。彼らは、手紙を書こうとする私を、そして、私が回想する私の青春を、その爆笑の声で、笑ひ飛ばしてゐるかの様だった。


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 「何が可笑しいんだ?」と、私は、心の中で叫んだ。すると、階下で、再び、彼らの爆笑が響いた。


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 私は、思はず、椅子を立った。そして、自室のドアに向かひ、そのドアを開けた。すると、階下の部屋は、私がドアを開けたのに合はせるたかの様に、しんと静まり返ったのだった。


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 私は、ドアの外に立って、階段の下を見つめた。その暗い階段の下の部屋に、奴らは居るのである。今、私の手紙を笑った連中が!だが、私が、ドアを開けた瞬間、彼らは、まるで、今の爆笑は無かったかの様に、静かに成ったのだった。私は、その階段を駆け下りて、階下のその部屋に怒鳴り込む積もりだった。だが、そうして、私が、ドアを開けた途端(とたん)、彼らが静まったので、私は拍子抜けし、目の前のその階段を駆け下りて、怒鳴りこむ勢いを失ってしまったのだった。


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 「今の笑ひ声は、何だったのだ?」と、私は思った。今聞こえたあの爆笑は、空耳(そらみみ)だったのだろうか?そんな筈は無かった。だが、私が、一瞬そう思ふほど、階下の部屋は、静まり返って居たのである。その静寂の深さに、私は、当惑した。


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 「バカにしてゐる!」と、私は思った。
「俺が書こうとしてゐる手紙が、そんなに可笑しいか!」
私は、心の中で叫んだ。
 もちろん、そんな事が有る筈は無かった。彼らが、私が、書こうとした手紙を笑った訳は無く、ましてや、私の失恋を笑ふ訳も無い事は明らかだった。今思へば、それは、全く馬鹿げた妄想だった。だが、その時の私は、彼らの笑ひ声に、そんな錯覚を抱いたのであった。


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 私は、頭が混乱した。私が愛した女性との出会ひが、彼女との会話が、思ひ出が、そして、別れが、走馬灯の様に私の心の中に浮かび、巡った。そして、その走馬灯の光景に、その笑ひ声が、重って、私の心の中に響いたのだった。


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 彼らは、又、笑った。今度は、更に大きな爆笑だった。それは、まるで、その走馬灯の光景を打ち消す様な、高らかな哄笑であった。


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 私は、部屋に戻った。そして、机に向かって座った。だが、私は、もう手紙を書けなかった。私は、机を拳骨(げんこつ)で叩くと、その机の上に置かれた、目の前の便箋の上にペンを投げ出して、椅子から立ちあがった。


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 「外に出よう」と、私は思った。今、ここでこの便箋(びんせん)に向かって座れば、階下の部屋で、又、あの連中が自分の手紙を笑ふ様な気がしたのである。いや、手紙をではない。自分の青春を、である。
  私には、彼らが、私の青春を笑った様に思へた。そして、今、このまま手紙を書けば、奴らが、又、笑ふ様な気がしたのである。それは、もちろん、妄想だった。だが、その時、私は、本当にそんな気がしたのである。私は、コートを取って、その部屋を出た。


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 私は、早足に階段を駆け降りた。階段には、誰の姿も無かった。笑ひ声が聞こえて来た階下の部屋からは、賑やかな声が聞こえたが、もちろん、その部屋の扉の前で立ち止まる事もせず、私は、フロントまで階段を下った。そして、フロントに鍵を預けると、もう一度、夜の街へと出   たのだった。


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 私の脳裏に、何故か、「諸君、喝采せよ。喜劇は終はった」と言ふあの作曲家の言葉が浮かんだ。そうだ。喜劇は終はったのだ。私の恋は喜劇だった。だから、彼らは、笑ったのだ。あれ以上の喝采が有るだろうか。
 
 外は、すっかり夜に成ってゐた。その夜の街を私はあても無く歩き始めた。私は、多くの人々とすれ違った。


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 パリで、私は喝采を浴びたのだ!彼らは、「ブラヴォー!」と、叫んでゐたのだ。


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 外は、すっかり暗く成ってゐた。その夜の街を私はあても無く歩き始めた。


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 私は、多くの人々とすれ違った。考えてみれば、こうして、今、道ですれ違ふ人々と、私は二度と会ふ事は無いのだ。人は、人に出会ひ、そして別れる。私は、自分の人生の中で、どれだけの人々と出会ひ、そして、別れるのだらうか?


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 私は、レストランの前を通り過ぎた。通りから窓ガラスを隔てて見えるそのレストランの中は、薄暗かった。その薄暗い室内の所々で、人々は、ロウソクの灯りで食事をしてゐた。通りに面した窓際に、恋人同士らしい若い男女が、白いテーブルクロスの上に置かれた赤い蝋燭(ろうそく)を挟(はさ)んで、食事をしてゐるのが見えた。彼らは、ワインを手に、何かを楽しそうに話しながら、食事をしてゐた。その幸せそうな光景を通りから見つめる私は、ガラス1枚を隔てて、その窓ガラスの内側と、自分の居る世界が、全くの別世界である様に感じた。
     


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 レストランの隣りは、カフェだった。そこに置かれた古びた赤い椅子は、いかにも昔のパリのカフェを彷彿させる物だった。もう大分寒いのに、外に座った中年の男たちは、テーブルに置かれたワインを前に、何やら早口で、身振りを交えてしゃべり続けてゐた。彼らの横に置かれた古びた小さな黒板には、チョークで、その日の料理が書かれてあった。そこに牡蠣(かき)を意味するフランス語の単語が書かれてあるのを見て、私は、昔読んだモーパッサンの小説を思ひ出した。


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 その隣りは、花屋だった。その花屋の前で、私は足を止めた。暗く成った街の中で、その花屋の内部が別の世界の様に明るかった。世界には、こんなに明るい場所が有ったのだ。そして、こんなに沢山の花が有ったのだ。私は、その明るい花屋の室内に置かれた赤いバラやカーネーション、それにゼラニウムなどに目をやった。こんなに沢山の花が有るのだ。
 そして、この世には、私が名前も知らない美しい花が沢山有るのだ。


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 私は、再び、歩き始めた。すると、何処からか、トランペットの音が聴こえて来た。



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 ジャズだ。何処かでジャズをやってゐるのだ。私は、そのトランペットの音が聴こえて来る方角を見た。見ると、私が歩いて行こうとする方向に、JAZZ(ジャズ)と書かれた木の看板が掲げられてゐた。私が行こうとする方向に、ジャズをやって居る酒場が有るのだった。私は、その看板の下まで来て、その店を覗(のぞ)いた。


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 暗い店内で、トランペットを吹く男の姿が見えた。その横にはピアノを弾く女性とベースを奏でる男が居た。そして彼らを囲む客達。ここだ。ここでジャズをやって居るのだ。そうだった。自分はパリに居るのだ。パリほどジャズの似合ふ街が有るだらうか。パリのジャズはは最高だ。私は、その店の中に入りたいと思った。そして、この店の暗がりと煙草の煙の中で、このジャズに心と体を浸(ひた)したい言ふ衝動に襲はれた。


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 だが、私は足を止めた。駄目だ。私は、あの手紙を書かなければならない。ホテルに戻って、あの手紙を書かなければならないのだ。


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 私は、踵(きびす)を返した。私は、今来た道を戻って、ホテルへと、向かふ事にした。彼女への手紙を書かなければ。私は、そう自分に命じて、足を速めた。


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 私は、カルチェ・ラタンの人々と擦れ違ひながら、ホテルへと向かった。私には、私がこの街で多くの人々と擦れ違ひながら、誰一人として私に声を掛けやうとしない事が、不思議な事の様に思へた。「そうだ。私は一人なのだ。」と、私は思った。パリには、これだけ多くの人々が居る。だが、誰も私を引き止めないのである。何処へ行こうとも、私は全く自由なのだった。誰も私を引き止めない。−−これが「自由」なのだ、と私は思った。自由な人間は孤独だ。自由の代償は、孤独なのだ。その事に気が付いて、私は、自由であると言ふ事は、怖い事なのだと思った。


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 ホテルに戻ると、管理人は、フロントで本を読んで居た。私は、彼に「Bon Soir(ボンソワール)」と言って声を掛けた。彼は、本から顔を上げ、同じく「Bon Soir(ボンソワール)」と答えて、微笑んだ。私は、彼から鍵を受け取ると、ゆっくりと、階段を上がって自分の部屋に向かった。階段は、ホテルに着いた時と同様、私が上る度に、ぎいときしむ音を立てた。そして、階段は、先程と同様、暗いままだった。その暗い階段を上って、私は、上へと向かった。すると、先程のあのうるさかった連中の部屋の前の踊り場に、一人の若い女性が立って居る事に私は気が付いた。


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 踊り場の灯りの下に立って居たその若い女性は、金髪で、すらっとした背をした女の子だった。二十歳くらいだろうか。彼女はコートを着てその部屋の扉の前に立って居た。彼女が立つその踊り場の扉の向こうでは、相変はらず、あの大勢の賑やかな声が続いてゐる。私が階段を下から上がって来ると、彼女はそれに気が付き、階段を上がって来た私を見た。私達は、目が合った。
「Bon soir(こんばんは)」と、私は言った。
「Bon soir(こんばんは)」と、彼女も言って、微笑んだ。
 見ると、彼女は、両手で何かをかかえてゐた。



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 見ると、それは、オレンジだった。彼女は、両手でオレンジを抱きかかえながら、その踊り場に立ってゐるのだった。


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 彼女は、私を見つめた。それは、まるで、その扉の前で私を待って居たかの様な眼差しであった。そして、私に英語でこう言ったのであった。
「I am sorry we are noisy.(うるさくてすみません。)」
 私は、目を丸くした。すると、彼女は、続けて英語で言った。
「私達は、ドイツから来ました。みんな、初めてパリに来て、興奮してるんです。それで、大騒ぎをして、うるさいでしょう。本当にごめんなさい。」そして、彼女は、フロントの男性に周囲の部屋の事を尋ねたのだと言った。幸い、階下の部屋には誰も泊って居なかったが、階上の部屋に私が泊って居ると知り、お詫びを言おうと、そこで思って待って居たのだと言った。私は、「Oh.」言って微笑んだ。


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 「Das macht nichts.(構ひませんよ)」と、私は、ドイツ語で言った。すると、彼女は、驚いて答えた。
    「O, Sie sprechen Deutsch!(まあ、ドイツ
    語をお話しになるんですね!)」
    「Sehr wenig.(ほんのちょっとです。)」と言って私は首
    を横に振った。そして、
    「Machen Sie keine Angst.(心配しないで下
    さい)」と言った。そして、
    「Sie sind jung.(皆さんは若いんですから)」と言っ
    て、彼女に微笑んだ。すると、扉の向こうで、又、大きな笑ひが起きた。
     私は、階段を昇って、自分の部屋に行かうとした。すると、彼女は、私を止めた。   


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 「これを持って行って下さい。」彼女は、そう言って、持って居たオレンジを差し出した。
「このオレンジ、とても美味しいんです。せめてものお詫びです。」
  私は、彼女をじっと見つめた。彼女は、本当に申し訳無ささうに、そして、少し微笑みながら、その三つのオレンジを私に差し出したのだった。私は微笑んだ。そして、ほんの少しの間、何も言はずに彼女を見つめた。
「Danke.(ありがとう)」と、私は言った。そして、彼女から、そのオレンジ達を受け取った。
「Auf Wiedersehen.(さようなら。)」と、私は、彼女に言った。「Auf Wiedersehen.(さようなら。)」と、彼女も言った。そして、私は、そのオレンジを両手で抱えながら、ゆっくりと階段を昇った。


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  階段を昇り切った私は、オレンジを左手でかかえながら、鍵を出して自室の扉を開けやうとした。その時、何気無く後ろを振り返った私は、階段の下に、彼女がまだ立って居る事に気が付いた。彼女は、そこで扉の前に立ったまま、階段を昇る私の後ろ姿を見送ってゐたのである。彼女は微笑み、会釈をした。私も、階段の上から、彼女に会釈を返した。そして、「Gute Nacht.(お休みなさい)」と、挨拶をした。「Gute Nacht.(お休みなさい)」と、彼女も言った。そして、私は、オレンジをかかえて、自室に入ったのだった。


                   51


 扉を閉めると、私は、アレンジをテーブルの上の便箋の上に置いた。そして、その場に立ったまま、便箋の上の三つのオレンジを見つめた。


                   52


 それは、まるで、セザンヌの絵の様な光景だった。そのテーブルの上の便箋とオレンジを見ながら、私は、独りで笑った。
     
                              (終はり)
  
  
平成20年(2007年)1月8日(火)〜平成27年(2015年)12月26日(土)


                   西岡昌紀(にしおかまさのり)

(この小説は、フィクションであり、実在の人物、団体、出来事とは一切関係が有りません。又、登場人物の独白、発言は、作者の見解とは無関係です。この小説の著作権は、作者(西岡昌紀)の全ての作品と同様、執筆開始から現在まで、常に、一貫して、作者である西岡昌紀に有ります。(この作品の著作権が、一時的にも作者以外の個人、企業、などに移動した事は、全く有りません)批評、批判の為の引用は自由ですが、この作品の概要または部分を他の小説、詩、随筆、日記、紀行文、劇画、映画、ドラマ、戯曲、ゲーム、広告、などに転用、利用する事は、形を問はず、固く禁じます。又、この作品を作者の同意無く外国語に翻訳する事を禁じます。)


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