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2015年12月21日23:20

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南国の宗教

今年はどうなる!? ホワイトクリスマスになりやすい条件を気象予報士が解説!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=3769818

西暦325年、第一回ニカイア公会議において、キリスト教の根本原理から祭典、儀式など現在まで連綿と続く仕組みが決められました。
西暦311年のミラノ勅令において、キリスト教はローマ帝国において公認されることになりました。
その後、ローマの国教とするために、当時弾圧下において百花繚乱状態になっていたキリスト教を統一する必要がありました。
そのために、全教会の聖職者を小アジア(現トルコ)のニカイアに集めて行われたのがこの公会議です。
時のローマ皇帝コンスタンティヌス1世が主宰者であり、議長として議場に黄金の玉座を運び込んで会議に臨みました。
このことから、これがローマ帝国がキリスト教を利用して国家の結束をさらに高めようとするパフォーマンスであったことが類推されます。

当時ローマでは、ゾロアスター教の一派であったミトラ教が信仰されていました。
新しくキリスト教を普及させるために、それまでの宗教の祝祭日に合わせて祭典を行うという手法が取り入れられました。
「今までと何も変わらないのだ」ということで宗教を切り替えようとしたのです。
クリスマスもその一つでした。
ニカイア公会議が開催されたのは、イエスが没してから約250年くらい経っていました。
もちろん、今よりもイエス自身が身近に感じられた時代だとは思います。
しかし、キリスト教において大切だったのはイエスが磔刑にかけられたのち、神として復活することでした。
当時としては、イエスが神の子として生まれたことはあまり重要視されていなかったようです。
ローマ帝国では、イエスの誕生を含めて神性を高めるために、その誕生を祝うための儀式であるクリスマスを制定することにしました。
クリスマスとは「キリストのミサ」を意味する言葉で、「お誕生日」ではありません。
イエスが生まれたことを祝すための祈祷日です。

ローマでは12月末の時期にミトラ教の「冬至祭」が行われていました。
冬至で太陽の力が最も弱くなっている時期に、その復活を願うために飲めや歌えの大宴会を催していたのです。
この時期にクリスマスを制定することで、神の子の誕生を祝うお祭りとしたのです。

このように、クリスマスはローマにおいて始まった祝祭です。
その後、ローマ帝国の版図に普及されて行きましたが、当初は地中海沿岸部が中心でした。
やがて、キリスト教は欧州大陸を北へ布教を進めて行きます。
中世時代を迎える頃にはローマ帝国はすでに解体されていましたが、キリスト教はその後に勃興した欧州大陸の王家たちに受け継がれ巨大宗教へと発展して行きました。
それでも、16世紀頃まではローマ教会を中心とする勢力によって統制されていました。
権力との癒着構造の中で、組織の疲弊やそれに伴う不正が横行するようになり、ドイツのマルチン・ルターを中心とする「宗教改革」が行われます。
キリスト教の根本原理を変えるのではなく、教会の仕組みを変えることが目的でした。
これによりローマを中心とするカトリックに対して、プロテスタントが生まれます。
この新しい宗派は、新大陸アメリカにも布教される中、キリスト教に「北国の宗教」的なイメージが出来ることになりました。
プロテスタントの信者が北欧諸国を中心に広がっていたこともあります。

イエスが生まれたユダヤ(現イスラエル)のエルサレム地方は冬は寒くなりますが、大雪が降る気候ではありません。
聖書の中にもキリスト教と雪を関連づける記述はありません。
それでも、未だに「ホワイトクリスマス」と言う言葉が語られ続ける背景には、北欧で勢力を持ったプロテスタントの影響とアメリカ映画「ホワイトクリスマス」でしょう。
サンタクロースも、オランダ、ドイツなどで盛んだったセントニコラウス(シンタクラウス)信仰がアメリカに渡ってクリスマスと強引に結びつけられた結果でもあります。

そういう意味では「ホワイトクリスマス」も「サンタクロース」も大きく歪められた宗教観だということが出来るでしょう。
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