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2015年12月20日20:16

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FBより。気づく事がすべてです。

気づく事がすべてです。 気づいた時、あなたは完全に目覚めます。
バカヴァン
実はワンネスの教えは非常にシンプルな教えなのです。
ご理解頂きたいのは、もし複雑に
思えたらそれは教えに関して誤解があります。
そして努力しなければいけないと理解したのであれば、
それはまた教えを誤解しています。
努力をしないという意味は無関心という事ではありません。
無関心と間違えないで下さい。
私達がお話した事を見てみましょう。
基本的にワンネスの全ての教えは一言に集約されます。
それは『気づき』です。
ですが往々にして次のような質問を受けます。
『見て下さい。
私の心は醜く、嫉妬心があり、愛がなく、
怒りにみち、暴力的で苦しみを体験しています。
それではいつ、それらが起こらなくなり変わるのでしょうか。
途方にくれてしまいます。』
そのような質問に対してワンネスで最も理解して頂きたいのは、
みなさんのマインドの中身がどうであるかは、
全くもって重要ではないという事です。
なんでもありです。
それは暴力的であったり非暴力かもしれません。
それは怒りや嫌悪、嫉妬や欲求不満、
恐れでもあるかもないかもしれません。
そういった全ての考え方、感じ方、感情の流れです。
私達はただ単純にその事にこだわっていません。
なぜなら私達は全くそれを変えようとしていません。
それを変えようとしてもがいてもムダです。
変えられません。それは人間のマインドの所有物で、
とても古くからあり、マインドはただひとつです。
それでは一体全体、私達はなにを目指しているのでしょう。
私達がお話するこの『変化』とはなんでしょう。
一方では変化しないといい、
もう一方では何らかの変化について言及しているようです。
私達がお話しているのはただ、
どうか熱心に起こっていることに気づいて下さいという事です。
それだけです。
あなたがそれ以外にできる事はありませんし、それ以外してはいけません。
そんな訳で、その事を努力をしない努力とお話しているのです。
ただ唯一できる努力は、今起こっている
ことに少しずつ耳を傾けて、こう言う事です。
『わかりました。気づかせて下さい』それだけです。
気づくにつれて、ほとんどそれが不可能だと気づきます。
最初からそんなに大変です。
その時あなたは白旗をあげてこう言います。
『神様、不可能です』その時が、私達がお話する委ねる時です。
しかしただ、やみくもに委ねればいいというものでもありません。
自分が何もできない、何も起こらないというふうに単に気づく事です。
そうして初めてあなたは、
ブレッシング(注、ワンネス・ディクシャのこと)
を通してディバインを引き出せます。
ブレッシングがあるべきところへあなたを導きます。
それはどこでしょう。
実はどこでもありません。
最初から行くべきところなどないのです。
あなたは、起こっている事にもっとより気づくだけです。
教えは言います。
それが最初の第一歩であり、最後の一歩ですと。
これはあなたが最初の第一歩を踏み出したら、
あなたがどこかへ行くという意味ではありません。
どこにも行きません。
単純にどこにも行く所がない訳ですから。
ですから最初の第一歩とは何でしょう。
その第一歩は気づきです。
最後の一歩はなんでしょう。
気づきです。
それはどこでしょう。
ただ気づきがあるだけです。
気づきが最初のすべてで最後のすべてです。
どうぞご理解下さい。
気づきはあなたをどこへも導きません。
嫉妬から解放してくれるわけでもありませんし、
怒りから解放してくれるわけでもありません。
あなたをセイントにしてくれるわけでもありません。
まったく違います。
気づきはあなたに、嫉妬からの自由、怒りからの自由、
嫌悪からの自由を与えてくれるだけです。
そしてあなたはそれらに干渉することをやめ、
変えようとする努力をやめます。
最初にあるのは気づきです。
途中にあるのも気づきです。
最後にあるのも気づきです。
気づいた時、あなたは完全に目覚めます。
目覚めた時、あなたはただ存在しているのではなく、生き始めます。
あなたは今、白昼夢の状態にいます。
その間中はずっと、思考(マインド)が作りだす
この争いに捕われています。
あなたはどこかにいて、どこかに行こうとしています。
それが思考の動きです。
あなたはそれに引き込まれていて、捕われています。
ですから生きていると言えないのです。
ただそこに存在しているだけです。
もう一度繰り返します。あなたはどこにも行きません。
あなたは何も変えません。
変えられるものは何もありません。
私達がただ、あなた方に期待しているのは、
どうか起こっていることに対して熱心に気づいて下さいという事です。
それはあなたが楽しめる美しい映画かもしれません。
それに勝る映画はありません。
それに勝る本はありません。
気づきがなければその本は読む事ができません。
気づく事がすべてです。
気づきとはあなたの中にプレゼンスをもつ事です。
気づきは深まるにつれ、プレゼンスも深まります。
そうするとある時、プレゼンスが完璧に
そこにいると強烈にきづく事があります。
そのプレゼンスとはあなたの言う神です。
その時、あなたは神になります。
あなたとプレゼンスは完璧にひとつです。
あなたと気づきとプレゼンスは完全にひとつになります。
その時にあなたは自分自身が神である事を見るでしょう。
私達はそこを目指しています。
ですからこの瞬間から、起こっている事をただ観察して下さい。
何もしようとしないで下さい。
それに対して何もできることはありません。
ただそこにあるだけです。それが真実です。
それがうちなる正直さです。
それが本物になる瞬間です。
その事にどうか無関心にならないで下さい。
むしろ強烈に気づいて下さい。
ただそれだけがあなたのすべき事です。
それがワンネスの教えです。
それが最も根本的な教えです。
他の教えは主にその根っこの教えのサポートです。
最初の一歩が最後の一歩という格言のようです。
ただ経験して下さい。
その教えを経験しようと努力するとなんにも経験しません。
あなたが気づく時、経験は勝手に起こります。
現実をありのままに経験することができます。
私達はただそれだけをお話しているのですが、
またあなた方が努力をしようとしてこう言います。
『わかった!
私は今これから苦しみを経験するぞ!
そうだ!
現実をありのままに経験するぞ!
よーし!良い人間になるぞ!』
良い人間とか、劣った人間などというものはありません。
この気づきによって行動は自然に起こります。
それが私達のいう行動です。
それ以外のことも行動と呼ぶでしょうが、
それは単に活動にしか過ぎません。
この行動のことを気づいていない人は、
よい行動とか悪い行動、正しい行動、誤った行動と言うかもしれません。
気づいている人には、ただの行動です。
その人には、それは完全な行動です。
これは完全な気づきによって起こります。
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