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2015年12月20日02:07

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上映中 「杉原千畝」




「杉原千畝」

二年前、八百津にある杉原千畝記念館を友人と訪れた時に眼にしたのは、
 
杉原千畝が、リトアニアのカウナス領事館で押し寄せる避難民にビザ発給を続けたデスクと、

戦後、イスラエル政府から授与された「諸国民の中の正義の人賞」、そして後年本人が、

発給を決断するに至ったのは、人間として当然の事を下までだというメッセージを残した

録音テープだった。

だが、ビザ発給前に外務省に許可を願い出た時には、許可を得られず、念願していた

モスクワ勤務どころか鎖線される恐れもある状況にあり、その事は映画の中でも、

同じ領事館職員のリトアニア人グジェの心配するシーンで描かれていたし、ベルリンの

大島領事館に発給を願い出て断られた時にもはっきりと告げられていた。

それを敢て決断させたのは、連日押し寄せるユダヤ人やポーランド人の中の波の中の

先頭に見えるユダヤ人母に寄り添うあどけない少女の姿だった。

買うナスの市街では、定期的にゲシュタポがジープに乗って無差別に発砲している

野を目の当たりにしている杉原領事は、一刻の猶予もないと踏んだ上で覚悟を決めた

事を妻小雪やグジェに告げる。そして、領事館とビザを貰おうと待っている人々を

隔てる門をグジェが「中に入ってください」と開けた時はジーンと胸に迫るものがあった。

ドイツがロシアと不可侵条約を結んでポーランドに侵攻した1941年(昭和16年)には

益々ユダヤ狩りが激しくなると、裏方でグジェが手伝い発給のスピードを上げる様子が、

描かれる。最終的に1500通余りを発行して、カウナスナスからシベリア鉄道経由

日本行きを主にして、国外脱出を成功させるまでが、丁寧に、スリリングに映し出されて

いた。

後年、妻の小雪が記者に「「モスクワ侵攻の数か月前、たまたまカウナスの任に

あった事、夫の善に向う意思の固かった事など奇跡としか思えない」と語ったそうだが、

全くその通りだなと納得させるものがあった。

満州国情報部員として満州で働いている時、軍人の横暴な振る舞いに嫌気が指し、

辞職を願い出てリトアニアに着任しなければ、又、多言語を操る能力や各国の情報分析に

優れたものがなければ起こり得なかったJ救出劇だっただろう。

実際、ゲシュタポのジープに発砲されながら追跡されるシーンもあり、

命懸けで6000人を救った人だから、もっともっと日本人が知っていい人だし、尊敬すべき

人だと思う。ナチスの悍ましい大量殺戮との対比が、海面に漂う幽霊船のかなたに輝く太陽

みたいで、戦後70年経っても益々輝いて見える。

リトアニアを去った後、杉原氏は、シベリアの収容所に一時収監されたりしたことがあり、

戦後は貿易会社に語学を生かして務めた事があったとのことだが、

日本の国として人類救済の功績に何の功績も認めていないようなのが、嘆かわしい事よ。
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