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2015年12月17日22:03

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【ビール】 宴会の作法には本当に困ったものだった……。

■忘年会に「白いハンカチ」は必需品!? 若手に気遣い求めるコラムに「こんなこと要求されんなら、行かねーよ!」
(キャリコネ - 12月17日 17:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3764816

 現在禁酒中なのに、ビールの話なんか書いたら呑みたくなるだろう、と自分にツッコミを入れつつ(苦笑)。

 昨今は、忘年会や新年会といった職場の宴会には出席しません、という人も珍しくないでしょうし、私自身もその風潮は悪いことだとは思いません。まあ、「ノミニケーション」の効用を全否定する気もないのですが、やれ幹事だ会計だ宴会芸だカラオケだと、若い頃に散々、苦労した身(再び苦笑)としましては、良い傾向だな、と。
 私の若かりし頃、というのは昭和末期から平成初期の頃ですが、職場の公式な宴会(忘年会や送別会・歓迎会等)に出席しない、ということは病気か身内の不幸でもない限り考えられないことでした。もっとも、そういう公式な宴会は年に数回だけですし、日頃から(給料天引きで)会費も積み立てているので、そんなに大きな負担ではなかった、とも言えます。同じ職場の呑み会でも、もっと小規模かつ頻繁に(週一ペースで)行われる呑み会の方が、大変だった気がしますね。
 忘年会にも出ない現代の若い方々からすれば、そんなに頻繁に行われる呑み会に、何故、参加していたのか疑問に思われるかも知れません。よほど酒好きだったからか。いやいや、いくら私がビール大好きだからと言って、週一で上司と呑みたいとは思いませんよ。
 実は、仕事に差し支えたからです。当時の私の職場では、色々な取り決めをするには、会議を経て出た結論に対して管理職の判断を仰ぐ……というのが表向きの仕組みだったのですが、本当のところ、結論は会議の開始前に決まっていたのです。会議で提案が出される前に、既に必要な議論は全て尽くされ、職場内多数派の一致した方向性が厳然として決まっており、会議は単に、その結論を承認する形式的役割のみを担っていたのです。
 どうも私は、そういう「阿吽(あうん)の呼吸」と言うか「周囲の空気を読む」と言うか、そうしたことが昔から苦手で、しばしば基本的な質問や、多数派の方向性に反する意見を出しては、「会議を無駄に長引かせる迷惑な若僧」と白眼視されていた(らしい)のですが、さすがの私も数年を過ごすうちに「これは何か変だぞ」と遅まきながら気づき、ようやく、そのカラクリに行き当たったのです。
 もうお分かりだと思います。数年前の某映画のキャッチコピーに

 「事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起こっているんだ!」

とかなんとか言うのがありましたが、私の当時の職場の場合は、

 「会議は会議室で行われているんじゃない、居酒屋で行われているんだ!」

……という状態だったわけですね(汗)。さすがに「料亭」ではなく「居酒屋」でしたが。
 職場の多数派の、更にその中核を成すメンバーが、「呑み会」と称して(いや、実際にお酒を呑んでいたわけですけれども)、重要な方向性を毎週毎週、議論して煮詰めていたわけです。そして、翌日以降に必要な根回しを済ませ、いざ会議となれば既に方向性は決まっていますよ、という仕掛けだったのです。
 そうと分かれば、私もジッとしているわけにはいきません。とりあえず、その「呑み会」に加わらないことには、自分の意見を会議に反映させることも出来ないのです。
 ここが厄介なところで、忘年会のような公式の宴会ならば、前述したように「任意参加」とは名ばかりの、実質「強制参加」でしたから逆に困らないのですが、週一の「呑み会」は、形式的には「仲の良い同僚たちが、一緒に夕食を摂っている」だけですから、新参者には敷居が高いのです。当時20歳台後半の私から見ると、そうした「呑み会」常連メンバーは、十歳から三十歳ほども年上の人ばかりでしたので、潜り込むのに苦労しました。最初のうちは偶然を装って入店し、次第に図々しく相席を申し出、同僚や上司たちにお酌をして回って、酔い半分のお説教を頂いても恐縮して謹聴し(それはそれで、タメになるお話もたくさんありましたが)、自分も本題の議論に口を挟めるようになるまで……半年か、一年ぐらいも掛けたのかな……。
 そんな風習があったのが、当時の私の職場だけなのか、それとも、意外によくある光景だったのか、はたまた現代でも変わらず続いているのかは知りませんが、とにかく、そうでもしないと本業に差し支えたのですから、周囲からは滑稽に見えても本人は必死でしたよホント。

 さて、やっと本題のビール。
 私はビールが大好きです。それはもう趣味の領域で好きなので、「地ビールを呑みに行く」というそれだけの目的で旅行をしたことも一度や二度ではありません。「とりあえず、ビール」ではなく、二杯目も三杯目も、二軒目も三軒目も、ずーっとビールです。(場合によっては日本酒やワイン、ウヰスキーも呑みますが。)
 で、ビール好きとして声を大にして言いたいのが、

 「注ぎ足したビールは、美味しくない」

ということであります。
 もう少しちゃんと書くと、気の抜けたビールは不味いのです。これはまあ、御理解頂けると思います。(お酒を呑まれない方は、気の抜けた炭酸飲料を御想像下さい。)で、気の抜けたビールが残っているグラスに、上から新しいビールを注ぐと、どうなるか。
 美味しくならないんです。いくら泡が出来てもダメです。ビールの泡は、ビールの気が抜けない為のフタの役割を果たすのですが、既に気が抜けているビールに泡でフタをしてみても、意味はないのです。注ぎ足した「気の抜けていない、新しいビール」は、グラスの中で「既に気の抜けている、不味いビール」とたちまち混ざり合い、全体として「半ば気の抜けた、不味いビール」が出来上がるのです。
 ですから、ビールは泡が消えないうちに、呑み干すのが一番美味しいのです。(ちなみに今回の日記は、日本の大手ビール会社が主力商品にしている「ピルスナータイプ」のビールを念頭に置いて書いています。黄金色で泡がたつ冷たいビールを御想像下さい。他のタイプのビールの中には、そもそも泡ができないものや、常温で呑むもの、アルコール濃度が高くてウヰスキーのようにチビチビ舐めるタイプのビールもあります。)若者向けのチェーン居酒屋などでは昔は、バカでかい「特大ジョッキ」等を出す店があったりしたのですが(最近は知らない)、短時間で呑み干せない量の生ビールなどは、あっという間に気が抜けて、ひたすら不味く、持てあますことになります。私は生ビールは中ジョッキぐらいにしておきますね。

 今回のmixiニュースの中に、次のような一節があります。

 後田氏によると「ビールをお注ぎします」と声をかけるタイミングは「グラスの残りが6割程度」になったときが良いとのこと

 ……ビール好きとしては、このタイミングが最悪だ、ということが、お分かり頂けるでしょうか。(三度苦笑)
 残りが8割ぐらいある時に「ビールをお注ぎします」と声を掛けられることは、あまり無いと思います。ほとんど口を付けていない状態ですからね。たとえ声を掛けられたとしても、この場合は「まだ、けっこうです。」と断れます。(8割ぐらい残っているなら、泡も残っていて、気が抜けていない場合が多いでしょう。)
 残りが2割ぐらいなら、どうか。残りをまず、呑み干してしまえば良いのです。そのぐらいの量なら、気が抜けていて不味くても、どうと言うほどのことはありません。そして新鮮で美味しいビールをたっぷり、注いでもらえば良いのです。(もっとも「残り2割ぐらい」の人は、ビールはこれで終わりにして、次は他のお酒を飲もうとか、ちょっと一休みしようとか思っている場合が多いのですが……グラスを空にしてしまうと、さすがに周囲の人から「注ぎましょうか」と言われますからね。)
 これが後田氏お勧めの「残り6割」だとどうか。先に呑み干すには、ちょっと残量が多い。ただし、泡は消えかかっている。ここに上からドボドボと注いで、見た目ばかり立派で実は前述通り意味の無い泡をこしらえ、さも「気が利いているだろう」風にドヤ顔している相手を立てる意味で、「いや、こりゃ、どーもどーも」とかなんとか無意味な受け答えをしながら、ちょっと口を付けてみせる。相手はもう、お次の「残り6割」を目指して移動中。あーあ、どうしようこのビール。ぶっちゃけ不味いんですけど。

 まぁ、実のところ職場の呑み会だの宴会だのは、美味しいビールを呑む為の席ではなく、前述のように仕事の一環なので、そう割り切ってしまえば良いんですよ。若い頃は、周囲に「注いでやる」と言われれば、ありがたく注いで頂きましたし、それで問題は無いんです。自分が呑む場合は。
 むしろ、自分が注ぐ側に回る、と言うか若ければ若いほど、そっちの側になるわけですけれど、その方が困りましたね。最近の若い方は、こうやって記事に書かれたものを読んで初めて「そうなのか、なんて面倒臭い」とお感じになるのかも知れませんが、私が若い頃は、なにも後田氏に指南されずとも、「グラスが半分ほど空になっている人が居たら、お酌をするものだ。そうでなければ気が利かない」というのが、割と一般常識だったんですよ。
 つまり当時の私は、「ビールって、注ぎ足すと不味くなるんだよなぁ」と知りつつ、注ぎ足して回っていたんです。これには参りましたね。相手が拒否しないんだから黙って注ぎ足しておけば良いんでしょうが、なまじビールが好きなだけに、中々やりにくかったです。
 しかも、この記事には書かれていませんが、目上の人に注ぎ足せば、ほぼ間違いなく、お返しにこちらに注ぎ足し返してきます。(だから、席の遠い人のところへお酌しに行く時には、自分のグラスも持って行く必要がある。)相手はその一回の応酬で済むでしょうが、若輩者のこちらは、誰かに注ぎに行ったら、当然、他の人のところへも参上しなければならない。その都度、注ぎ足し返され、お義理にでも口を付ける格好をしなければならない。以下、繰り返し。

 本当のことを言えば、各々が、自分に合ったペースで呑むのが一番、美味しいビールの呑み方なのです。気が抜けない程度に早く、お腹がもたれない程度にゆっくりと。
 だから、手酌(自分で自分のグラスやお猪口に注ぐことです、念の為)で呑むのが一番なんですよ。私なんか、グラスの注ぎ方にもけっこう凝りますからね。三度注ぎとか、色々。
 ただ、日本では「手酌は無粋」という伝統がありましてね。宴席で誰かが手酌で呑んでいると言うのは、イコール、周囲の人の気が利かない、ということになってしまうんですよ。下手すると、周囲に対する当てつけみたいに思われてしまう。年配の方ほど、そうです。
 さすがに今の現役世代では、ほとんど見られないと思いますが、私が若かった頃に年配だった世代には、「手酌では、どうも呑んだ気がしなくて」とかなんとか言って、女性の同僚にお酌を頼む人も、けっこう居ました。それが、女性に対する下心があって言い寄っているわけでなく、本当に文字通り「手酌で呑むのは味気ない」という理由で、それを頼んでいるらしかったのですから、若い方の想像を絶すると思います。勿論、今だったらセクハラですよ。

 ……その後、私も何度かの転勤を繰り返しまして、若年から中年、中年から初老へと順調に老化が進む一方で、出世街道からは久しく遠ざかることとなりました。
 と同時に日本社会も少しは旧弊を打破しつつあると見え、「勤務時間外まで同僚や上司に付き合って、酒を呑んでなどいられない」という至極真っ当な見識を有する若い方々が増えてきました。皮肉ではなく、私はこれを、本当に良いことだと思っています。ビールを始めとするお酒一般を愛する身としては、お酒はプライベートで、自分のペースと自分の流儀で、好きなように呑むのが一番美味しく楽しく、健康的だと考えるからです。(私の学生時代に流行し、急性アルコール中毒死事件が続出して社会問題になった「一気飲み」等という莫迦な風習に至っては、なおのこと廃れるのが当然です。)
 お蔭様で、年老いても、若い同僚の方に気を遣われてお酌される、という立場にはならずに済み、ホッとしています。と思っていたら病気で禁酒だよ。全くもう。(苦笑)
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