最近は、引越しばかりしているのですが、再び吉祥寺に戻ってきました。6月の話。
事情で足立区西新井に引っ越したのが13年の12月。しかし、西新井に慣れることもなくこちらに移ってほっとしております。
足立区の西新井というところがどういうところかもよく調べもせず、後悔することとなりました。物件の下見すらせず、ウェブサイトの画像と間取りだけで判断したのもこのときが初めてです。
それにしても困ったもので、あの時は住んでいる井の頭のアパートの住人にかなり難のある人がいたもので、急に仕方なく、やむを得ず決めたのです。
どうせ東京の東の方へ移るのなら、浅草やもっと南寄りの方にすれば良かったと思います。西新井には下町らしいものはなく、ただ西新井大師があっただけでした。
近くの北千住には何度か通いましたが、荒川の言われも今回知る由となりました。
以前から何度か氾濫する事で、荒れる川の意味で荒川となったようです。明治の頃から大規模に河川改修を行いまして、今の川幅のひろい大きな荒川となった訳でございます。
以前は隣の隅田川と変わらないほどの幅だったようです。
この改修のために大勢の朝鮮半島人がつぎ込まれ、何人もの人が工事中に亡くなったとか。血と汗と涙の結晶です。今の大きな荒川は。
おそらく、強制的に徴用されたかそれに近いことがあったのだろうと推察します。その後も彼らの子孫はここに居付き、現代に至ります。完成後も彼らには帰るお金が無かったのではないですか?
西新井にはそういう訳で立派な朝鮮学校があります。
近所においしい焼き肉屋さんがあったのは、ラッキーでした。
ほんとは西荻窪辺りに住みたかったのですが、ミニバイクを置ける環境を探しているうちに成蹊大学の近くのシェアスタイルのマンションになりました。ここも、いつまでいられるか?
家の事情やこちらの事情で、そう遠くない日に京都の実家に帰るかもしれません。
残り少ない日々を、高円寺や阿佐ヶ谷などを徘徊しながら過ごそうかなどと考えております。
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