形あるものは必ず壊れる。壊れずとも、なくしたり、盗まれたりして自分の前から消えてしまうことがある。
形あるものだけではない。
目には見えない愛情も、信頼も、友情も変化する。良くも悪くも別のものになったり、消え失せたり、壊れてしまうことがある。
この諸行無常は当たり前のことであって必ずしも悪いことではないのだが、多くの人が、何かが消えゆくことや失うことを怖れる。
そりゃそうだ。
何らかの痛みが生じるからね。物をなくしても、配偶者や恋人と別れても、親友を失っても、家族と死別しても。
しかし、自分の命に終わりがあることについて避けられないのと同様に、どんなに怖れても消滅や終わりは避けられない。
命も含めて、あらゆる事象には誕生と終わりが必ずあるから。
国だっていずれは消えゆく。永遠なんてない。人類の歴史上、いったいいくつの国が生まれては消滅していったのだろう。
永遠だと思われても、永遠など存在しない。
人の心も同じだ。
疑いや怒りが生じることで信頼関係は壊れる。永遠はない。善悪関係なく、タイミングや立場や環境次第で簡単に壊れる。
失うことの恐怖や、失うことを良くないことと捉えて無理にそれらの芽をないことにして集団や交流関係を維持しても、最終的には消しようがないのだから壊れる。
タロットカードの大アルカナの二枚には、この諸行無常における、停止、崩壊、再生を意味するカードがある。
13番の「死神」と16番の「塔」。
停止と再生を司る死神と、崩壊と現状からの脱出を意味する砕け落ちるバベルの塔。
どちらも痛みを伴うから嫌われるカードだが、これがあるからこそ、物事が終わって消えゆき、終わって消えるからこそ、新たな誕生や再生がある。
停止や崩壊を残念に思ってしまうのはしょうがないのだが、死神や塔を肯定できない=諸行無常を理解できないと、人間、何かに執着して抗おうとするからこそ、辛いのよね。
人間、死神と塔を肯定的に捉えることができた時、煩悩という執着から自由になれる。
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