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2015年12月04日19:23

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「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【241】 2015/12/5(金) 呉越同舟(ごえつどうしゅう)」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16205 (写真入り記事)

「呉越同舟」とは、同じ境遇や利害のために、仲が悪く、敵対関係にある者同士であっても協力することを言います。また、そのような者同士が、同じ場所に居合わせることについても同じように表現します。

2007年には、二万人規模の「ラブソナタ東京大会」が、教派や日韓の民族を超えて「さいたまスーパーアリーナ」で行われました。

2009年には、あらゆる教派、宗派を超えて「プロテスタント宣教150周年大会」が行われました。

その後、2000〜3000人規模の大会は、年数会、各地で頻繁に行われてきましたが、つい先日は、13000人規模の「セレブレーションオブラブwithフランクリングラハム大会」が460教会の協力のもと、日本武道館で行われました。

大きな大会をやる時には、考え方が合わなくても、過去に確執があったり、対立する関係にあったとしても、キリストを伝えることのために、協力し、一緒に集まる。つまり「呉越同舟」でやれたら素晴らしいと思います。

「呉越同舟」に似た言葉が、英語であります。「Woes unite foes.」(災いは敵同士を団結させる)です。

2011年3月11日に起こった「東日本大震災」を機に、クリスチャン同士が、教派や宗派を超えて「呉越同舟」で、震災からの復興のために協力し合って来ました。まだまだ、震災復興は道半ばですが、ある程度復興してからは、「呉越同舟」で協力し合っていた関係が崩れつつあるということを聞いたことがあります。

コーヒーのCMで「違いが分かる男」というのがあります。クリスチャンの世界の中で、「違いが判る男」となりたいと思います。

もちろん、キリスト教の異端やカルトというある一線は超えられませんが、「イエスは主、我らの救い主」と告白できるならば、伝道のために協力し合っていきたいものです。

今日は、東京福音リバイバル聖会のミーティングが持たれました。最後の祈祷会の時に、一人の先生が、有名な伝道者の言葉を引用して、「東京や関東は一つの教会となって、協力して教会を建てていきましょう!」をチャレンジしてくれました。本当だなと思いました。

私は、いくつもの教派を超えての祈祷会に参加し、そこで奉仕をしています。最初は、気が合わない同志でギスギスした雰囲気になることもありました。途中で来なくなってしまう人もいましたが、続けて参加している人たちは、一緒に祈り、一緒に食事をし、深く交わるようになり、「呉越同舟」を学んでいます。

クリスチャンは、いつでも神が共におられますが、同時に、悪魔からの攻撃を受けています。その意味において、共通した敵を持った者同士が力を合わせることができると思います。

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。』(第一ペテロ5:8〜9)

インターネットの世界で、「呉越同舟」でみんなと親しくしたいと思って活動を続けていますが、何度も、「難しいなー!」と感じることに直面して来ました。

お互いに無理して、我慢して付き合い続けていることで、ある日爆発し、お互いに気づ付け合ってしまうという出来事が起こりました。

ある時は、精神的に病んでいる人同士が喧嘩をしたので、その仲裁に入ったら、逆恨みされてしまって、つらい経験をしたこともありました。

それからは、無理に「呉越同舟」にこだわらなくてもいいと感じるようになりました。

例えば、ある人が書いた文章を読んで、「気に入らない!」と感じたとしたら、「批判して、恥じしめてやろう!」と躍起になるよりは、スルーして、距離を置いた方がお互いに身のためです。

しかし、そんなお互いでも、距離は置いたとしても、反目し合わず、批判したりせず居たいものです。

繰り返しますが、無理に、気が合わない者同士が仲良くする必要はありません。

私たち一人ひとりを体に例えたとしたら、体はある一つ、もしくは、二〜三の他の器官とつながっています。つまり、全体がつながっているわけではないのです。ある特定の器官とつながっていることで、その器官も他の器官とつながり、結果として、全体がつながっているのです。

これが大切だと思います。

仲が悪い人同士が、無理につながる必要はありませんが、仲が悪い人も、友達の友達であり、間接的につながることで、全体が一つになれたら、大きな「呉越同舟」の関係になれます。

聖書は、そのような関係を私たちに教え、求めておられるのではないかと思います。

気の合わない人同士が、積極的にかかわらなくても、排除することだけは避けたいものです。

『わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。』(ヨハネ17:21〜22)

これが私の願いであり、祈りであり、スタンスです。

現実的なお話ですが、「〜すべき!」「こうあるべき!」ときれいごとを話しても仕方がありません。

願わくは、これからも親しい関係を保たせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

一日、そして、一週間、お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい。

また明日お会いしましょう。

菅野直基

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