■「ブラック企業大賞はただの企業イジメ」…アリさんマークの引越社副社長が猛反論
(日刊SPA! - 11月29日 17:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=3735272
表題の件につきまして。
ニュースへのレスは、久しぶりで、作文もひさしぶりですですので、読む方には、予めその事を了解願う。
っで、内容ですが、まず社会というものは、設計主義的ではない。と考えているのが私の立場です。
法律とか常識(実にあやしい根拠)というものは、決着をつけねばという、争いの解決方法であり、良い悪いではないのです。軽じているわけではありません。人間の歴史は争いであり、とりあえずの解決方法が法律や慣習などで社会を安定させています。最良ではないがはまだ進化の途中である。
日本は、罪を犯した人を隔離するよりも社会の中に置いたまま更正させる。という方法で歴史を重ねてきている。もちろ更生の過程で多大な損害や、その危険可能性が高ければ、隔離の方法も選択される。が他の社会(外国)と相対評価すれば、社会の中に置いたまま構成させる、と言えるのである。(先ず世論があり、法律や慣習などは追従する事になると思われる)
ブラック企業、とはなんだろう?
この言葉の登場する以前は、この言葉により思考(イメージ)される内容は、誰も理解できなかっただろう。
昭和の時代、景気の良い頃。バブル時代、今日よりも明日、所得は倍増する。
昭和の時代、現代(2015年)で言うブラック企業と同じ内容であっても、不満を感じても声にはしなかったし諦めていた。なぜなら、所得は年々上がるし、年功序列で役職は上がる。労働の対価ではなく、年数の積み重ねで、会社からの報酬は増えたのだ。
そして、現代(2015年)の会社組織の決定権を持つ層は、そのような昭和時代を生きてきた世代の連中。
彼らは、労働と報酬の関係の因果関係を理解していない。(年功序列で報酬は増えたからだ)
彼らは、己が若い頃、過酷な労働をさせられたから、今の若い世代にも、そのような労働を強いる。
しかし彼ら(昭和時代の連中)のような、年功序列による利益は、若者には与えられない。
彼ら(昭和時代の連中)は、馬鹿なのか?
そんな単純な事に気づかないのか?
知っているが、バカのふりをしているのかもしれない!
そして、2015年を生きる若者たち。
いつかは年を経て、若者も会社組織の決定権を持つ層になるのかもしれない。
そうなったとき、労働と報酬の関係を、理解した上で振る舞う事ができるのだろうか?
なにかしら、自分の人生体験に基づき、決定を下すのではないだろうか?
価値観も時代により変わる。
働くというのは、どういう意味があるのか
資本家が労働者を雇い、報酬が支払われる。というのが先進国が行う方法である。
資本主義経済である。
資本主義とはなんだろう?
人間の歴史には、貨幣制度もなく、資本という概念もない時代に、やはり労働者はいた。
貨幣や現代的な意味での資本ではなく、別なる価値観を基に人々が生きる、社会の物語がある。
労働は、何かしらの対価ではない。生きる目的である。とした民族もいた。
しかし、2015年の日本では、労働には対価として報酬が支払われる。これは社会のシステムであり、ルールである。労働は資本家との契約で成立する。
契約は原則、個人間の約束で、第三者が関係するものではない。そして契約におて、労働者の立場は弱いものだ。
対価とは金銭価値であり、これなしでは現代(2015年)の人々の生活は、成り立たない。
金銭価値では、成り立たない生活。金銭価値とは別の価値観でも成り立つ生活。どちらの方がいいのだろうか?
いつかは、金銭ではない、または金銭価値と並行して異なる価値観でも成り立つ、そんな社会へと変わるのかもしれない。
全ては、確定していない。関係性である。
関係する事物が変われば、状態も変わる。
オシマイ (@O@)
作 ヨハナと白地紅点
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