mixiユーザー(id:34814794)

2015年11月27日20:59

301 view

40年間の過ち。。。

私が今のようなたち位置で

のらりくらり人生を送れていることは

ズバリ!わが家の生活環境に尽きる。


幼少期から何不自由な生活をしていなしし。。。

金銭的には全く不自由な事もなかった。

おこづかいは、両親から毎月3000円を

小学校までもらっていた。

中学からはおこづかいはもらわなかった。

ただし、教育や生きる力に関連するお金は惜しみなくくれた。


で。。。

中学からは夕刊の新聞配達をしだして。。。

給料をもらうようになり。。。

133件のお宅に夕刊を配達。。。

ここで賞与というものを夏と冬にに

5,000円もらって。。。

給料以外のお金はだったから。。。

ラッキーって感じ。

今考えたら

中学生に賞与を支給する新聞配達所も。。。


我が家の家業は、一応建前では、土木建設業だったから。。。

最低でも200人以上の作業員(当時は、人夫、土方)が住込で働いていたから

多いときは600人いた時もあった。

わが家の儲けのからくりは。。。

ズバリ!ピンはね!

今の言葉でいう派遣労働者。

当時は、派遣先から日給10,000円で派遣してくださいと依頼があれば

派遣された作業員には日給1500円程支給されていた。

即ち、8,500円ピンはね!していた訳になる。

これが業界の常識だったのだ。

しかし

うちのおやじは、日給として

日給2,500円から4,000円支給していたから

常に作業員からの求人は絶えなかった。


今の山口組、工藤会などの暴力団組織の前身が

うちのおやじの家業だったのだが。。。

であるから。。。

こんな日給を作業員に支払っているから

同業からの嫌がらせは凄まじいものだった。

今なら、ピストルが撃ち込まれたら。。。

すごい報道されるが。。。

当時のピストルは人殺しの道具でなく

相手に対しての威嚇道具って感じだったから

撃ち込まれても、まるで、玄関先のピンポーンダッシュみたいな?

こんな時代だったのですよ。


この調子で書き綴っていくと

私の40年間の過ちにたどり着くまで

数ヶ月、書き綴らなければならないような感じ。

つづく

2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する