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2015年11月24日00:26

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眠ってるかどうかがセンサーで感知した情報でわかるんですってよ

今日、世界初の試みらしい『筝と光の競演』を観てきた。
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10年前に職場関係で知り合ったフミコさんに誘われて、阪大で『境界面上の音楽会』という聞いただけでは小難しい、説明されたら船を漕ぎそうな、じっくり考えるとサッパリわからない音楽会を聴いてきた。
音と光のコラボレーションは昨今ではドコでもやっているし、猫も杓子もプロジェクションマッピングに現を抜かしているので、そういったものなんだろうと思っていた。

私としてはお琴を聴くのが主目的。
盆踊りをやっている人間としてちょっとでも伝統芸能的なかほりの漂うものは吸収しとくの。
しかし、実態は違った。
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インターフェイスの研究をしてるスゴイひとが、筝奏者の爪にセンサーを取り付けて演奏しにくいカンジにして、そのうえ奏者が座っているイスに透明の体重計みたいなセンサーを置いて座りにくいカンジにして、それらのセンサーが読み取る情報、音の強弱を読み取るマイク、それらのデータを可視化してスクリーンの花びらを散らしたり、波紋をあっちゃこっちゃに広げたりなんかするの。

プロジェクションマッピングを観てる感覚だと、映像はまったく小規模だしシンプル。
音楽再生中のビジュアライザってカンジで。
正直この仕組みを聞くまでは、筝奏者の後ろのスクリーンの映像はいらんかな、て思った。

お琴の曲っつったら定番中のド定番「さくらさくら」が最初に演奏されたんだけど、この演奏中に後ろのスクリーンでは桜の花びらが舞っていた。
ごっそり舞っていたりチラホラだったり、横に流れていったり枝に桜が咲いたりそれが散ったりね。
その映像を、私たちは何の情報も知らされずに見て聴いていたわけだけど、これが実は、センサーにより、奏者の指の動きや音の強弱、体重移動を感知して、それにより花びらの舞い方が違ったのだと言うではないか。
演奏前にその情報を聞いときたかった…そしたらそうゆう目で見たのに。

奏者も無意識でやっている動きを『ここが盛り上がってる』と判断して、ここぞとばかりに花びら散らしてる、ということになってたんだって。かしこいね。奏者が右に揺れれば右から風が吹いて花びらが流れてゆき、左に体重移動すれば左から風吹きます、てことらしい。
見た目ではあんまりわからない、奏者が刻むリズムである上下の揺れも感知するんだってセンサー。それで上下に揺れてリズムにノってればノってるほど、花が咲いてましたよ、てことになってたらしい。…だから事前にその情報が欲しかったよね、そうゆう目で見たから。

序盤の説明でわざと書いていたように、センサーとやらが「しにくいカンジ」なの。お琴の爪につけたセンサーの線は掌を渡って手首にまでバンドでとめているもので「演奏しやすいとは言えない」と奏者が言っていたし、後半の演奏では手が冷たくなったということでセンサーが外されていた。椅子の上に乗っているセンサーも座りにくいんだろうなァという第一印象。もっともっと薄く軽量化の実現を…みたいなことを司会者のひとが言っていたということは、満場一致で「しにくいカンジ」だったのだと思う。

このイス型センサーの情報で「授業を聞いて眠っている生徒」がわかるようで、校長先生のみが「是非!」と喜んでいたというエピソードも紹介された。まァでも授業が眠くなかったとしたらその授業って雑談がすすんでるよね。

フミコさんも言ってたけど、このイス型センサーが感知する、本人も無意識の情報、これで事故を未然に防ぐ車のシートとか、介護の現場で危険を予測する車椅子とかね、そうゆうのが出来るんじゃないのもしかして、てなことを思わせる技術だったと思う。

ほんで個人的な発見なんだけど、私は小学生の時に転校するまでのちょっと間だけマーチングクラブという楽器を演奏しながら歩き回って隊型移動までしなきゃならん過酷なクラブに属していたんだけど、そこで一番軽いドラム希望だったのになぜか木琴になった。なんせ歩きながら奏でる木琴なので肩から担ぐんだけど、かなり重いの。鉄琴よりは軽いんだけどね。
木琴はたったふたりでメインのメロディを演奏しているので誰よりも練習がスパルタだった。たしか小学校6年生の夏に猛練習をしたと記憶するが、とくに繰り返し繰り返し練習したパートというのがあって、絶対にミスしてはいけない部分だったから木琴を見なくても弾けるように、と練習を課された。
おかげで転校先の学校で「木琴やってたんだって?はい」と音楽の先生にいきなりバチを渡された時に、猛特訓パートの部分だけをやってポカンとされたんだけど、その意味が今日わかった。
私が楽曲の意味も理解せずに弾いていた曲は『チャルダッシュ』というハンガリーの舞踏音楽で、哀愁を帯びたゆっくりとした部分と技巧的な速い部分とで構成されてい、私が木琴を見ずに演奏することを要求されたパートというのがこの技巧的で最も速い部分だったのである。

小学生用のマーチング曲としてアレンジされてはいたけれど、今日、琴で演奏されたチャルダッシュを聴き、あの猛特訓のパートはそのまま小学生に課されていたのだな、と発見した。今日まで、私の生活ではチャルダッシュを聴く機会がなかった。小学6年生で弾いたチャルダッシュを今日まで聴かなかったのである。えらいもんやねぇ、記憶って。たった2音聴いただけでわかったね、練習がすごく辛かったから。超イントロどん!で誰よりも早く答えられたと思う。たぶん私いまだに木琴でチャルダッシュのあの部分のみ弾けると思う。ただ、絶対に弾きはしないけどね。だって20年以上も経ってるのにチャルダッシュ聴いて辛さしかこみあげてけぇへんかったから。

音楽って記憶と密接に関わり合ってるもんなんだねぇ。どう辛かったとかは具体的に覚えてないねん全然ね。やのに瞬時に私の脳は辛いと判断した。この曲が私にとって辛いということを28年前の記憶の引き出しからピンポイントでチョイスしてきたのよ。
どんなにテクノロジーが発達しても人間の脳を超えるセンサーて作れないような気がする。どんなにコンピューターが賢くても私にチャルダッシュを演奏させることは出来ないの。だって私の嫌々センサーが振り切っちゃってるからね。
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