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2015年11月23日18:44

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【230】 2015/11/23(月) 目に見えない神の導きは完璧」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16180 (写真入り記事)

今年度、PTA役員を退きました。これは神のタイミングだったと思います。PTAとセレブレーションの大会の準備は同時にできなかったと思います。PTA役員はめちゃくちゃ忙しいからです。

しかし、セレブレーションの協力をお願いするために、40日近くをフルに使いました。会議やその他の準備や移動時間を入れると、60日以上をフルに使った計算になります。それだけの時間を捻出するためには、相当の努力が必要でした。

しかし、祈れば何でもできます! 神の導きは完璧です。

大会の前後は、ほとんどバスの運転に時間を費やしました。鍵が渡されて、試乗した日を含めると、6日間バスの運転をしました。これは貴重な経験でした。

バスの運転で一番気を付けることは左折です。左折を大回りをしないで乗用車と同じように曲がると、縁石に乗り上げてしまいます。しかし、後輪が縁石に沿ってきれいに曲がるようにするのは、ある意味熟練が必要です。大型二種免許では、そういうところが厳しく採点されて、何度も落とされたことを懐かしく思い出します。

こんな車(バス)を自家用で持ったら肩がこるな!と思いますが、同時に、単発で、ツアーバスの運転手のような仕事があったらやってみたいな!と思いました。

神様はこの一年半、私に必要な経験をたくさんさせて下さいました。失敗やつらい経験を含めて、すべては完璧です。

感謝なのは、今日から、セレブレーション以外のことに時間をフルに使えることです。まずは、祈りと伝道に第一に時間を使っていきたいです。

『私(使徒)たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。』(使途の働き6:4)

これは初代教会の土台を築いた12使徒たちの姿勢でした。

現在、そこからスタートした教会はカトリックとして残っていて、プロテスタントは、マルティン・ルーテルによって1517年に宗教改革からはじまりました。

カトリック教会は、ローマ法王を頂点とする一つの組織です。しかし、プロテスタント教会は、カトリックに抗議して改革しましたので、組織形態が違います。

プロテスタントには、大きな教団もあれば、小さな教団もあります。また、同盟、連盟、連合、あるいは、単立の教会もあります。一言でいえば、烏合の衆です。

しかし、これは人間の目から見た視点です。

カトリックは、大きな一つの組織です。だから、それぞれの修道会などが自由に活動します。自由に活動した結果、その修道会が大きく伸びたとしても、そこに競争はありません。カトリックが大きくなった、ということだけです。

プロテスタントは、ある魅力的な教団や教派があると、現存する教会員がそこに流れてしまうことがあり、競争が起こり得ます。

次に、宣教師を考えてみますと、カトリックの宣教師は、どこに行こうとカトリックです。カトリックからカトリックです。

プロテスタントの場合、ただでさえ烏合の衆で小さな集まりなのに、貴重な働き人が今ある教会・教団から減って、新しいところに移って働くことになります。

もちろんこれは、人間的な視点で見た場合の話です。

聖書に出てくるアンテオケ教会は、最も大切な働き人であり、主任牧師である、パウロとバルナバを宣教師として送り出しました。その二人がアンテオケ教会にとどまっていたとしたら、アンテオケ教会は勢力を拡大し、大きな祝福を得ただろうと思います。

アンテオケ教会、貴重な人材を失い、大きな痛みを感じて、「何とか2人がとどまってほしい!」と、みなが願っただろうと思います。

しかし、これは神の計画でした。神の視点はまったく違うのです。

神の視点は、私たちの目には見えません。だから、「大丈夫だろうか!?」と感じることがあります。

これは献金にも当てはまります。

聖書には、収入の十分の一の献金を教えます。普通に考えたら、「そんなに献金をしたら、経済的に大変なことになるのではないか!?」と考えるものです。

しかし、目に見えないだけで、すべては神のものです。神にお返ししたならば、神は、幾十倍にもして私たちを祝福できるのです。

『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』(マラキ3:10)

プロテスタント教会の一人の教会員が減って、他の教会に移っても、神の国の中では、ただ移動しただけです。

宣教師が、教会から海外などに派遣されたとしても、神の国の中で移動しただけですし、神の召しですから、神が一番いいことをなさるので、ただ神の国が大きく前進するだけです。

クリスチャンになる人は、カトリック教会なのか、プロテスタントなどなのか、どの教会に導かれるかは、自分で決めるものではありません。それは、どの親から生まれてくるかを選べないことに似ています。

私は、置かれた場所が最善の場所であり、そこで根を張り、成長し、豊かな実を結びたいと思います。

クリスチャン生活をしていく上で大切なことは、私たちは、目に見える世界に生きていますが、目に見える世界に支配されないで生きていくことです。

目に見える世界を打ち破る秘訣は、

�� 思い切り献金をする。
献金は、カンパや会費ではありません。神にささげるものです。目に見えない神を信じていなければできないことです。献金を通して、私たちが神に対してどのように考え、本当のところ、神を信じているのかということがはっきり現れてしまいます。

�� すべてのことを感謝する。
人生の中で起こることは、良いことか、良くないことのどちらかです。どんなにラッキーな人でも、そうそう良いことばかりが続くわけではありません。しかも、良いことばかりが続いていた人は免疫がありません。一回の失敗が大きな挫折になることもあります。

いつも、良くないことばかりを経験している人は、ますます自信を失って、最後は折れてしまうこともあります。

おそらく、どんな人でも、すべてのことを感謝するのは難しいと思います。

では、どうしたらすべてを感謝できるのでしょうか?

目に見えない神を信じることです。神は、万事を益にして下さり、マイナスをプラスに変えて下さり、ピンチをチャンスに変えて下さるお方です。

とてもそう思える状況でなくても、良いことをして下さる神を信じる信仰によって、すべてのことを感謝するのです。

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ8:28)

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』(第一テサロニケ5:16〜18)

�� 人を赦し、愛すること。
これまた難しいことです。

聖書は、『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。』(マタイ5:43〜48)と語ります。

『自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』

究極の教えです。

もし、あらゆる宗教や国家の中にこの教えが入り、実行されたとしたら、戦争は今すぐ終わります。これができないばかりに、戦争によって3分に1人が亡くなっています。

ただ、これを行える人は誰もいません。それが行えたとしたらこの世界は天国のようになります。

『義人はいない。ひとりもいない。』(ローマ3:10)

『汝の敵を愛せよ』という教えの前に、人は自分の罪を悟り、キリストが必要であることを知るのです。

�� 主イエスに従う
献金や『敵を愛せ!』という究極の教えが実行できたら、すべてを従ったに等しいですが、『私は神に従っている!』と自負する自分がプライドとなり、主人になっている場合があります。

聖書は、イエスは主の主、王の王であると書かれています。

イエスを私の主、私の王として心の王座に迎え、このお方に主導権を明け渡し、仕えていくことです。

これらの� 銑い髻⊃世傍Г蠅覆�ら行えたら、目に見える世界打ち破られ、自由になり、環境にとらわれない祝福、幸せ、勝利がやってきます。

『私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。』(第二コリント4:18)

聖書は、わかって、納得した上で信じることを勧めている箇所があります。

『もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。』(第一コリント15:2)

これは救いに関してです。3日間の大会で、多くの人が決心をされました。中には、勢いで、雰囲気に流されて何とく、『決断します』と言ってしまった人もいたと思います。

私は、これからイエス様を信じる人には、『よく考えた上で決断して下さい』と話します。

雰囲気に流されて『イエス様を信じます』と言われるので、洗礼を授けますが、そういう人は、ほどなくして教会を去っていきます。自分の中で納得ができていないので、矛盾を感じ、葛藤に苦しむからだと思います。

しかし、神を信じた人にとっては、一つ一つ納得して前に進むのではなく、まず信じて、次に、その結果として納得するのです。

神の導きは、最高、最善、完璧です。

私は、これからもこの神様についていきます。

『神様、これからもよろしくお願いします!』という気持ちです。

またみなさん、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
今日は、自宅で先週からたまっていた仕事をゆっくりやりました。あっという間に18時が過ぎてしまいました。1日は早いです。

『私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。』(詩編90:9〜10)

急がず、あせあず、休まず、神様が与えて下さった人生を大切に生きていきたいです。

私は、ネットを通して毎日出会うみなさんとの時間を大切にしています。神様が下さった私の宝です。

みなさんへの感謝を込めて。

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