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2015年11月20日16:13

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我々団の大阪芸大への出撃と私の孤独な闘いの顛末は

●Torary Nandでの我々団の交流会は、日によっては、話が盛り上がり、明け方の3時や4時頃まで続くこともあるが、昨日は、最終電車の少し前の夜中の12時頃にお開きとなった。というのも、本日、早朝の8時から外山君率いる我々団の反選挙街宣は、大阪府南部にある私立の大阪芸大に出撃するためである。連日の激闘は体力との戦いでもあるからだ。
●大阪芸大は、46年前の1969年に戦後最大のアナキストの統一組織だったアナキスト革命連合(ARF)の約60名(新聞記事では50人になっていたりする)が、突撃隊の部隊編成をして、深夜に夜襲闘争を行い、アナキストの最過激派の組織的行動として公安と世間を震撼させた。少年で突撃隊に参加した私は、当時の新聞報道によれば、機動隊を含め1500名を動員し、ジープ30台、ヘリコプター3機を飛ばして行われた大阪府警の大規模な山狩りによって逮捕され、鑑別所送りとなったが、今回のファシスト我々団の大阪芸大への出動はそれ以来になるだろう。
●これに関して外山君のFacebookからの転載。「千坂恭二氏らアナキスト学生集団による失敗以来実に46年ぶりに、今度はファシスト集団による大阪芸大襲撃闘争が貫徹された。『スクールバスに人気アニメの絵をつい描いちゃうようなポンコツ芸大の皆さんに、外山恒一が、ポンコツ芸大では決して学べない現代美術のお手本を提示しに参りました!』」
●我々団の反選挙街宣は、大阪芸大の後、北上し、住吉区の杉本町にある大阪市大に向かい、その後、市内を縦断して北摂の吹田市にある関西大へと向かうものと思われる。1970年代ならば、途中の阿倍野区の昭和町に赤軍派の拠点だった通称ピン大こと桃山学院大があったのだが、今はない。
●交流会には、大阪芸大卒や中退のメディア関係者やミュージシャン、アーティストも顔を出したりしており、本日の我々団の大阪芸大への出撃の戦況報告は、興味深いものとなるのではないだろうか。大阪芸大関係者は、我々団の戦況報告を聞くため万難を排して参集されたい。
●外山君も現場体験で言っていたが、大阪の大学で学生街が形成されているのは、吹田にある関西大と、長瀬にある近畿大くらいであり、田園地帯にある大阪芸大はともかく、市の南端にある大阪市大や堺にある大阪府大、千里の大阪大にも学生街がない。また大学そのものが都心にないに等しい。
●東京は、大学の絶対数も多く、また都心に大学が無数にあるので、都心の至る所で大学生を見かけるが(これは大学密度が日本一の京都も同じ)、大阪は、都心の昼間に大学生を見かけることがない。つまり大阪は大都市でありながら、昼間は大学生のいない不思議な都市でもある。
●歴史的に、大学生は貴族と共に、革命の主戦力であり予備軍でもあった。貴族は現代では珍獣化したとして、もう一つの大学生が大阪には数少ないということは、大阪における革命の人間地政学に大きな影響を与えているのではないだろうか。
●一昨日は、私も同乗した我々団の街宣は、大手前をはじめ、高津、清水谷、明星、清風、上宮その他、都心の、所謂高偏差値高校を回った。別な日には我々団は、天王寺や三国ヶ丘へも行ったらしいが、大阪の高校生は、京都や神戸の大学に進学し、大阪はお留守になるわけである。
●ちなみに、現在の京大のルーツとなる三高は、当初は大阪に作る予定だったらしいが、大阪の商人が、なぜか不要と断り、京都に移った。ところが、その後、大阪にも必要だということで、後に日本浪曼派の保田與重郎や竹内好などが学んだ大高が、現在の阿倍野区播磨町(現在、阪南団地のある処)に作られ、その後の大阪大となる。現在、電気街として、東京の秋葉原の大阪版のような日本橋筋は、大高があった頃は、マントに高下駄の大高生が闊歩する古書店街だったらしい。
●大学が市内には数少ないということは、人文や思想系の大学教員もまた大阪市内にはあまりおらず、またその種の書籍の充実した書店も少ないということになる。これは人文や思想系の基礎教養の形成の基盤がないことだが、これを否定的に見ず、肯定的に把握する視点が必要だ。
●ところで、約20年前に禁煙した私だが、我々団の反選挙街宣の期間、交流会では煙草をスパスパ吸っている。主に交流会の時に、桜子嬢のわかばに手をつけているが、自分で買うと禁煙が崩れると思っている。すると桜子嬢が誘惑的な笑みを漂わせ、わかばを私の目先にちらつかせるのだ。私は、今、我々団とは別に、その誘惑と闘っている。
●魅力的な女性である桜子嬢の誘惑なら、禁煙などどうでもいいという声が、私の心の奥底からかすかに聞こえてくる。「孤独な世界精神のパルチザン」とは、カール・シュミットがブルーノ・バウアーに付したあだ名だが(バウアーは、初期マルクスの先輩格のヘーゲル左派の思想家であり、孤独死をしたシュティルナーの葬儀を一人で行い、ニーチェから肯定的に見られていた)、禁煙という「孤独な世界精神のパルチザン」としての闘いは、どう揺れ動くのか。その顛末は、W選の投票日に同時に判明することだろう。
●ただし、禁煙したい人は、我々団の交流会に来られたい。かつてはヘビースモーカーであった私が、約20年前に、どのようにして禁煙に成功したのか、その秘法を伝授したいと思う。ひょっとすると、その時、私は煙草を口にくわえているかもしれないが。
●また我々団の反選挙街宣の第二陣として眞壁良輔君と共に参陣した東野大地君は、トリスタン・ツァラ派ダダイストである桜子嬢と、芸術弾圧誌と銘打った『メインストリーム』誌を出している。Torary Nandの小灘精一君と共に、マリネッティ主義的未来派でもある東野君は超マイナーなドイツ・ロックの達人だが、以前、私が滋賀に住むのが子供の頃の夢だったというと、滋賀出身の彼から一笑に付されたことがあった。
●私は浮世絵が好きで、幼少の頃から、滋賀についても近江八景の絵を見、琵琶湖の湖水と彼方に見える比叡の山並みが素晴らしいと、あれこれ言うと、東野君は、近江八景のような景観はもう何処にも無いと断言し、子供の頃からの私の夢の1つを、桜子嬢の反選挙街宣のダダ的語彙を借りるならば「ガタガタ」にしてくれたのだった。
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