中学を卒業するまで、国語の授業が嫌いだった、特に読書感想文という奴が苦手だった。
小説を読んで感じる事など人それぞれのはずなのに、なんでそれが採点されて、優劣をつけられなければならないのか?
中学生の頃は、本当にそう思っていた。
読書感想文が、自分の意見を書く物では無く、いかに国語教師の好みを把握し、教師に気に入られる答えを書くか?という、「目上の人の顔色を伺い、それに気に入られる為の能力を磨くための物」だと気がついたのは、もっとずっと後になってからの事だった。
そんな事もあり、課題図書の名の元に、読む事を強要された「純文学」とやらも嫌いだった。
しつこく、、生々しい描写に対して、気持ち悪ささえ感じでいた。
まともに読めたのは芥川龍之介くらいで、夏目漱石、太宰治などは、読むのが苦痛でしかなかった。
日本の純文学はドロドロの愛憎劇しか無いのかと…(^^;
このドロドロで生々しいのも、実は実体験をベースにしていたからこそ、である事を知ったのは、もっとずっと後になってからの事でした。
その反動から、高校生になってから読みふけったのがSFでした。
特にアイデアとロジックで語られ、ドロドロした人間性の希薄なハードSFは、非常に相性が良かったのでした。
こうして、高校・大学とSFを読み漁った訳ですが、その時に、傑作と呼ばれる作品にはある共通点がある事に気付きます。
それは「つかみが上手い」
傑作と言われる作品は、最初の数ページで見事に読者をその世界に引きずり込んでいきました。
画像はハーモニーの最初の3ページ。
何かが心に引っかかったのなら、ぜひ手にとってみてください。
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