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2015年11月15日09:56

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テロが許されないなんて当然だが、本当のテロの戦いとは何なのか?

「イスラム国」が犯行声明、127人死亡のパリ同時多発攻撃
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=3712961
雑誌社のテロ事件に続いて再びフランスがテロの標的になったのはなぜなのか?を考えている。警備体制に問題があったのだろうか?国内にイスラム国の同調者、支援者がいる可能性が高いのではないかと思う。それは外国籍の人かもしれないし、フランス国籍の人かもしれない。前の雑誌社の事件のときに、疑問に思ったのは、雑誌社に共感を示す有名人が続出したことだ。もちろんテロ行為は許せないが、ムハンマドをバカにすることは異文化の侮辱であって、報道の自由とは関係ない。それどころかイスラム国でない、善良な、まともなムスリムまでも敵にまわしてしまった。つまりテロのいいわけをテロリストに与えてしまったのだ。それだけフランス国内(これはヨーロッパ全体でもそうだが)には、イスラムを排斥する心情が強いし、国民の不安につけこんだ排外主義が、まるで静かな熱病のように全土に広がっているのだともいえる。

こういうテロ事件が起こると、キリスト教とイスラム教の共存は無理なのだ、とトンチンカンなことをいう人も少なくない。それは世界を知らない無知の発言だ。多くのイスラム教徒は世界の多くの国で、キリスト教だけでなく、他の異文化とも共存し、または共存の努力をしているのだ。マレーシアなんて、マレー人はイスラム教、インド人はヒンズー教、中国人はキリスト教として、多文化国家としてやっている。これはあくまでもキリスト教とイスラム教の問題ではなく、イスラミックステートというイスラム教を自称する狂信的な集団の問題なのだ。

また平和的な解決だなんて、性善説だという困った人も多い。平和的解決とはテロを認めることではない。テロは許せないのであって、本当の問題は、なぜテロが起き、アメリカの同時多発テロ以降に限っても、世界はテロを止められないのか?ということなのだ。

民族や宗教の衝突、異文化の衝突とは、きわめて19世紀的課題なのだが、21世紀になったいまも、というか、高度情報化資本主義の発展はその課題を、亡霊として蘇らせたといっていいのかもしれない。


これはネットの世界化が、個人の妄想化、ナルシシズムの肥大化とむすびついている。ISが、ネットを巧みに利用しているのはその証拠だろう。嘘、妄想、都市伝説に、いつしか洗脳されている。それは国家に、大企業に情報を操作されて洗脳されている『豊かな先進国』の国民と変わらないのだ。

日本国内でもあのオウム事件があったのに、まだなぜ信者はいるのか?かれはオカしいのだと切り捨てては、再び第2のオウム事件は起こってしまうだろう。

異文化の共存といいながら、世界はひとつの価値観のなかに結集し、経済成長が世界を幸福にするという神話をいまだに信じて走りつづけている。暴走する中国が倒れれば次はインドが世界を牽引する、インドのあとにはASEANやアフリカがいる。しかし日本を見れば明らかだが、高度成長は本当に日本を豊かにしたのだろうか?モノは確かに豊かになったが、心は豊かになったのか?それがネット社会になってもっと大きな課題となっている。世界有数の経済大国になって、私たちは幸福になったのか?待っていたのは少子高齢化と新しい貧困だ。新しい経済大国の中国もまた数年後には同じ問題に直面し、それももっとスケールアップして中国だけではなく世界全体を揺るがすテーマへとなっていくだろう。

暴走する世界、一元化した世界が、無用として捨てていったもののなかに、解決のヒントがある。テロを生まない世界を作るのに必要なのは、強靭で、粘り強く、冷静な、知性の働きである。

今回の悲劇を利用しようとする政治家の声には特に敏感でいなくてはいけない。




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