http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16157 (写真入り記事)
どんなことでも一体感を味わえるって気持ちいいし、素晴らしいですよね。
路上で、ステージで、教会などで、歌って演奏した時に、それを聴いていてくれる聴衆と一体感を味わえた時の感動を忘れることができません。
5000人を超える聴衆を前に説教を語った時に、聴衆と一体感を味わって、いつまでも説教を続けていたいと感じました。私が何かを語ると、打てば響くように、「アーメン!」「ハレルヤ!」などの叫ぶ声が帰って来ました。まるで、交互に説教をしているようでした。
車やバイクを運転していて、人車一体感を味わうことがあります。楽しくてやめられなくなります。
ただ、車やバイクの性能が良すぎて、持て余して振り回されてしまっています。反対に、ミニバンなど車高が高く、運動性能が低くて思った通りに動いてくれないでフラストレーションを感じることもあると思います。
私は、乗り物の特性を知り、特性を受け入れた上で、運転技術と乗り物の性能がうまくブレンドするような運転を心がけていると、自然に人車一体感を感じることがあります。長年乗った車やバイクは、一体感を感じやすいので壊れるまで乗り続けたいものです。
しかし、本当は一体感を感じることは難しいです。
音楽を演奏したり、歌を歌ったり、説教をして、最初は盛り上がったのに、段々聴衆の熱が冷めてしまって、こちらのボルテージも下がってしまって、退屈な雰囲気になり、さらに、「早く終われー!」なんていう空気が流れるようになったとしたら、両者が苦痛を感じることになります。一体になることを期待しているのに、一体になれないことに対する失望があるのでしょう。
それから、夫婦の一体感があります。聖書は、「夫婦は二人ではなく一体である」と教えます。
生まれた環境も違うし、育った環境も違うし、性別が違い、性格が違う二人が一体になることは可能でしょうか? 可能ですが、そこには多くの痛みがあります。お互いに相手をいたわり、譲り、許し、愛することが必要です。
どんなことでも、何かや、誰かとの一体感の前に、神との一体感を味わうことが大切だと思います。
私は、深く祈っていると、いつの間にか神との一体感を感じます。
今日も祈祷会がありました。全体は2時間半くらいですが、1時間半以上、神を求めて祈ります。イエス様の十字架の愛を通して、神と一体感を味わいました。
この世の中で、これ以上に感動できる体験はまずないのではないかと思います。
そして、神との一体感を味わっていると、他のモノや他の誰かと一体感になる練習になります。
自分を造られた神と一体になることでいろいろな素晴らしいことが起こります。
神と一体になるということは、本来の自分になることです。本当の自分を取り戻すことになります。
自分を最高に生きることになり、自分のポテンシャルが最高に発揮されることになります。
聖書は、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」と命じます。
モノには命はないし、しゃべることはありませんが、実際、モノは自分を作ってくれた存在を知っているはずです。
犬や猫は飼い主を知っています。
しかし、私たち人間は、自分を造り、自分を生かしておられる神を知らずに生きて来ました。
今があるということは、過去があったからです。
歴史、過去、起源を知ることは、今と将来を知ることになります。
「はじめに神が天と地とを創造された」と聖書は語ります。
ここから歴史は始まりました。ここが一番の過去です。そして、ここが命と人類の起源です。
神を知り、神に立ち返り、神との一体を求めて生きていきませんか?
しかし、神がどういうお方なのかをどうやったら知ることができるでしょうか?
日本語の『信じる』という言葉にヒントが隠されています。
『人』+『神の言葉=聖書』=『信じる』です。
つまり、人である私たちが、神の言葉である聖書を読み、その言葉と一体になることが鍵です。
神との一体感は、一番根源的な一体感です。その一体感他のすべての一体感につながっていきます。
もし、夫婦が一体だとしたら、幸せなので離婚はなくなります。その家庭で育った子どもは健全に育ち、その一人ひとり子供たちが次の社会を担っていきます。夫婦が一体なら、未来に希望が持てます。
一体感は人を幸せにします。みなさんは、そのような一体感を味わいながら毎日をを過ごされているでしょうか?
今日もお疲れ様でした。神様の祝福をお祈りします。
また明日お会いしましょう。おやすみなさい。
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