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2015年11月10日16:09

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津留さん。あなたは成りたい自分になれます。

その新しい舞台が
21世紀に現れようとしています。
あなたは将棋をご存じですか?
将棋では相手の王を取れば勝ちとなります。
人は誰でも簡単に
相手の王将の駒を
指でつまみ上げることは出来ます。
しかしその能力があるにも関わらず
誰もその行為をしようとは思いません。
歩は前に一つだけ進める。
香は後ろには進めない。
王は一つだけならどの方向にも
動かす事が出来るなど、
制限を設け、ゲームが成立します。
王を取り合うゲームといっても、
このルールという制限を
与えなかったらゲームは成立しません。
もともと制限の無いところに
制限を与えるからゲームが生み出せるのです。
もともと無限であった存在が
「無」でい続けることに飽きてきて、
制限を設け、
地球人生ゲームを考案しました。
無限が無限のままでは
ゲームが成り立たないから、
自らに制限を与えプレーが始まったのです。
そしてプレーに熱中するあまり、
いつまでたっても、
これがゲームであることを
人類は思い出してくれません。
「この地球にあるものは有限である。
自分が豊かになるためには人の分を奪うしかない」
これが制限を受け入れた人間の
まっとうな思考でしょう。
しかし我々人類は誰も無限です。
無限であるとは
無限に産み出せるということです。
無限の創造者であるということです。
歩は一度に一駒しか進めない。
だから工夫する楽しみが生まれたのです。
工夫、進歩という喜びを体験したくて
制限を自らに課したのではないのですか?
このゲームに参加したくて
自ら望んであなたは肉体を持ちました。

誰一人例外なく、喜びとして肉体を持ちました。
ハンディキャッパーもしかりです。
創意工夫という楽しみが欲しくて、
自ら不自由さを産み出しました。
これがあなたが自分を限定している理由に他なりません。
あなたの勇気を称賛します。
ましてや身障者の皆様に於いてはなおさらです。
思い出しさえすればいいのです。
自分が無限であったことを。
見えている世界は
四次元の自分の意識の
投影にすぎないということを。
見える世界、聞こえてくるものは
全て幻であることを。
幻に幻惑されてはなりません。
意識を高次元に戻し、
その事を思い出せば、
この肉体をまといながらも
ゲームを楽しむことが出来ます。
死とは
人生ゲームからの離脱にすぎません。
夢中で指していた
将棋のゲームの終わりと
なんら変わりはありません。
だからあなたは望んだものは
全て生み出せます。
このことに例外はありません。
ことの真理に、
50%だけ真理というものはありません。
99%はそうだが
1%は違うというものはありません。
100%そうなのです。
あなたは成りたい自分になれます。
欲しいものは手に入ります。
必要な環境はととのいます。
望むままに。

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