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2015年11月10日02:32

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大阪W選の哄笑的粉砕と交流会の経過

●地元の大阪に居ながら半ば忘れていた大阪のW選挙を哄笑により粉砕するべく九州ファシスト我々団の外山恒一君と山本桜子嬢が来阪(追って第二陣の東野、眞壁の両君も着到するとのこと)。
●難波千日前の味園ビル2階のTorary Nandで、両人と小灘君、満尾君、尾崎君、久しぶりの脇田さん、味園ビルでは有名なめふぃーたんさん、その他の人たちと歓談ならぬ反選挙の謀議を夜中の2時頃までやる。大阪はしばし面白くなるだろう。W選が終わるまで我々団の幕営となるTorary Nandは、我々団の選挙粉砕の歓談ならぬ謀議の場となり、大阪で最も刺激的な空間になるだろう。今、世の中はどうなっているのか、その真相を知りたい方で、近隣にいる方、少し遠方でも興味のある方は、是非、足を運ばれたい。
●我々団の反選挙の街宣車は何処を走るか。皆でスマホの地図を見ながら謀議を重ねたが、難波、梅田、天王寺、日本橋、京橋から北摂、堺、等々、大阪の至る処に現れるだろう。もし、街宣車を目撃するなり遭遇するなどして、それに触発され、問題意識を持たれたならば、味園ビル2階のTorary Nandへ来られたい。第二次大戦中、R・ブラジャックやリュシアン・ルバテら、フランスのファシストは『ジュ・スィ・パルトゥ(至る処に私がいる)』という機関誌を出していたが、今回のW選の間、我々団は、大阪の「至る処に私がいる」という状態になるだろう。
●かつてソレルは『暴力論』で選挙を批判し、ゼネストを主張したが、今回の我々団の反選挙活動は、暴力ならぬ、批判の笑いの力、哄笑の力への意志により、「選挙で何も変わりはしない」と選挙を吹き飛ばしてしまう趣旨だ。神武建国も明治維新も、選挙で行われたのではないw。ではどうすればいいのか、そう思った人はTorary Nandへ(木、金、土。PM8:00以降)。
●2日目は我々団の反選挙の街宣車は、大阪のどのあたりに現れ、選挙をコケにする活動を行ったのだろうか。夜の8時以降に、ToraryNandに置かれた我々団の大阪での幕営へ行くと、その様子を聞くことが出来るだろう。
●外山君によると桜子嬢が「早くも壊れてきた。さっきから『選挙制度そのものを根本からガタガタにいたしましょう』とか『民主主義を徹底的に蹂躙いたしましょう』とか連呼している」とのこと。さすがはトリスタン・ツァラ派ダダイストの桜子嬢で選挙に対してもダダだ(駄洒落ではない)。
●今、大阪で最も熱い空間と思われるTorary Nandに、小灘君の知り合いの某テレビ局の有力番組の構成作家である中村達也氏が来室し、テレビ・メディアの現状や政治やW選に絡んだ既得権維持問題を批判し、大阪の本質的な解体について皆で熱っぽく話す。また、この7月下旬刊行の拙著『思想としてのファシズム──「大東亜戦争」と1968』(彩流社)も購入していただき、感謝。
●3日目もTorary Nandで、反選挙の街宣を終えた外山君と桜子嬢を迎え、大阪W選を哄笑の力で吹き飛ばす活動の報告を聞く。また我々団の運動の全国的な展開に関して、九州への移住が必要である党員とは別に、全国で在地で活動する組織の形成や運動の展開について、そのためには、権力として批判され否定されるファシズムではなく、そのようなファシズムを否定する革命としてのファシズム(グローバリズムからの切断としてのファシズム)について定義し、ファシスト革命の綱領や理論の必要性について話す。
●我々団の大阪での幕営の場であるTorary Nandの主催者は、マリネッティ主義的未来派の芸術に従事するが、もう一つ、超国家主義・民族の意志同盟関西支部の顔を持つ。来週は、我々団の街宣とToraryグループの路上パフォーマンスを大阪の都心の某所で合同でやるが、九州ファシストと関西の超国家主義者の、ダダイストと未来派の共演に大阪は思想や表現の面白さと刺激力に包まれるだろう。
●先にも書いたが、反選挙の街宣で、ウグイス嬢役の桜子嬢が軽やかに言った「選挙制度そのものを根本からガタガタにいたしましょう」が、ダダイストのトリスタン・ツァラ的とすれば、 「民主主義を徹底的に蹂躙いたしましょう」は、『労働者』を読んだ桜子嬢の口から出たエルンスト・ユンガー的な科白でもある。「ガタガタ」と「蹂躙」という言い方が良い。
●反選挙の街宣後のTorary Nandでの交流会には、毎日、違う人が顔を出す。今日は若者3人が立ち寄り、彼らに外山君が選挙を哄笑する活動について熱っぽく説明。その後、1967年の羽田闘争で死んだ山崎博昭についての、同じ府立大手前高校卒業生でもある元東大全共闘議長の山本義隆氏や詩人の佐々木幹郎氏らによる「山崎博昭プロジェクト」の帰りの、少し年上の赤松と名のる人が、ふらりとToary Nandに立ち寄り、戦後の新左翼や全共闘の意味や問題について話す。同プロジェクトには、私が10代の頃の高校全共闘の運動の頃の大手前高校の友人や知り合いも何人か賛同人として参加している。
●話は、三派全学連の羽田闘争から1968年〜70年に至る全共闘や新左翼が持っていた問題性から、かつての黒田寛一の選挙闘争、さらに新左翼とは何だったのかということについて、それは歴史なり得るのか、それとも歴史の幕間にすぎなかったのか、その思想と実存の問題について、またグラムシ主義からネグリ・ハートの革命論への批判など、あれこれ話す。私には、戦後の、1960年前後のブントに始まる新左翼は歴史になるのか、戦後のある世代のエピソードにとどまるのかという話が、私にもそのことが意識にあったため印象的だった。
●新左翼の内情に関する話は、生きた時代が異なり、若い世代や右翼である小灘君や満尾君、また遠路参加した橿原神宮の神職の若者には、流れも内容も分からない話だったかもしれないが、1969年当時、既存のアナキストから「アナルコ・ボルシェヴィキ」と揶揄されたアナキスト革命連合(ARF)におり、アナキスト高校生連合の全国委員長だった私には、少し話に出たARFとアナキスト同士の内ゲバを展開した立命館のアナキストのことから、唐牛健太郎から小野田襄二までの名前を含め覚えのあることが多々あった。
●赤松氏は外山君の街宣に興味を持って立ち寄ったらしく、街宣について外山君が詳しく説明する。また山本義隆氏と同じ府立大手前高校の卒業生で、1969年の大阪浪共闘の頃からの私の知り合いである元解放派の川嶋康裕君から聞いたということで私の名前を知っていたらしい。また、赤松氏によれば、『永続敗戦論』の著者で、今、注目されている白井聡氏が私に強い関心を持ち、高く評価してくれているとのこと。白井氏は、若い世代でありながら、山崎博昭プロジェクトにゲストとして呼ばれ、山本氏と共に話をしたらしい。
●永らく東大全共闘の頃のことについては沈黙を続けてきた山本義隆氏だったが、近年、それについての著書を出した。これには当然ながら色々と見方もあり、共感する人も、やや批判的な人もあるようだ。
●ところで我々団によるこの反選挙闘争は、全く合法的なものであり、また投票日まで行われるので、関心を持たれた方は、今でも遅くないので、是非、私の毎月の定例の思想研究会の場でもある難波の、今、「うら難波」として話題になっている界隈の中心でもある味園ビル2階にあるTorary Nandへ、是非、足を運ばれたい。
●最後に、約20年ほど前に禁煙に成功し、煙草とは縁遠くなっていたが、Torary Nandでの交流会では、満尾君や桜子嬢の煙草(桜子嬢の銘柄は「わかば」)を連日のように何本もスパスパ吸っている。この調子でいくと、禁煙が崩壊してしまう可能性が無きにしも非ずかもしれない。


 少し付言しておこう。戦後の新左翼の闘争のベースにあった反帝反スタの革命思想の問題性でもある。この思想は、正直、その後の世代や今の若い世代には、ごく一部を除いて継承されていない。というより革命という立場そのものが忘れられている。それは、この闘争がもった暴力性についての批判に対して、それを思想的に突破しえずヒューマニズムに転じてしまった(屈したというべきだろう)問題だ。だから小熊英二のような出鱈目な1968年論が、したり顔で世に蔓延ることにもなったのだ。
 私は、拙著『思想としてのファシズム』(彩流社)にも書いたが、1968年闘争の全共闘や新左翼には、年長世代と年少世代があり、前者がヒューマニズムに屈するかスターリニズムに変じたのに対して、後者はプレ・ファシズムの要素を持っていた。ヒューマニズムとスターリニズムは戦後思想として生き残ったが、ファシズムは犯罪的にして反革命として、戦後から追放され、思想の牢獄に終身刑状態で幽閉されている。このファシズムが持つ非戦後性こそ戦後のヒューマニズムとスターリニズムを突破する契機があると思う。
 つまりファシズムを否定するにせよ肯定するにせよ、スターリニズムとヒューマニズムの連合軍としての戦後の思想を突破するには、一旦、ファシズムをくぐらなければならないのではないかということだ。でなければ、日本で近代や戦争期の思想の総括など不可能だからだ。1968年闘争の持つ年少世代のプレ・ファシズム性を封印したり隠蔽したならば、そこにはヒューマニズムとスターリニズムしかなく、それでは新左翼は戦後の思想にはならず、せいぜい◎◎族と同じような社会風俗にしかならないだろう。
 この問題は、今、話題となっている国会前デモその他の運動の思想にも現れている。つまり、そこにはヒューマニズムとスターリニズムしかないのだ。しかも、かつての反帝反スタの視点が、そこにはなくスターリニズムへの親和性となっており、その戯画的でグロテスクな典型が作家の高橋源一郎あたりだろう。
 現状では、政治を変えるには、戦術的にスターリニズムを肯定するしかないという判断もあるのだろう。それがかつての反スタ派の共産党のいう「国民連合政府」への支持的な傾斜だ。しかし、反スタが忘れられたままだと、それはブラック企業ならぬブラック政府になるだろう。ヒューマニズムが駄目なのは、ヒューマニズムでは反スタを貫徹出来ないからだ。問題は微妙な綱渡りでもある。反スタだからといって資本主義の反共と同意したり連合するわけではない。反スタは反帝と一対でなければならない。しかし、その希少な故事はファシズムしかない。むろん、ファシズムも、スターリニズムと同様の否定性を数多く持っている。しかし、戦後、思想的終身刑として、戦後の現実の外へ追放されたことが持つ、その反帝反スタ性、言い換えればファシズムが持つ、ある種のトロツキズムとの共通性に賭けるしかないのではないか。
 トロツキズムの限界は、現実には文学もしくは青年の主張でしかなかったところにある。それを越えようとトロツキーは「堕落せる労働者国家の支持」を主張したが、それで反スタは貫徹出来るのか。むしろそれはスターリニズムに屈する毒饅頭だろう。むしろ毒饅頭なら、反スターリニズムであり、ヒューマニズムからは敵として批判され忌避されているファシズムのそれを食った方がいい。でなければ、反スタを貫徹出来ず、資本主義に屈するか、反資本主義という仮面をつけたスターリニズムにしかなるまい。これが1968年闘争における反帝反スタの、現在の様々な運動に対する思想的な問いでもある。古い昔のことだという問題ではなく、現在の問題であり、はっきりいえば「自由と民主主義を守る」ということでは、政権交代が可能なだけで変革は無理だろう。
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