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2015年11月09日22:49

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思うこと

野上家ライブが終わってまる二日が過ぎた今も幸せの余韻に浸っている。
オチャラケ抜きに今感じていることを真面目に書きます。


野上家の初ライブが決まってから、いやがおうでも盛り上がるように、みんなが雰囲気作りをしてくれて、それにのっかて「これ以上の幸せ感を味わうことは二度とないだろう」と思うくらい記憶に残るライブだった。


3アドのトリの特権「お決まりのアンコール」(ナンボなんでもあんな演奏ではもらえないかも知れない。ひょっとしたら3アド始まって以来初のアンコールなし・・・・・なんてこともあるかなと心配だった)


不覚にもアンコールのお礼の挨拶の時に涙が止まらなくなって無様な醜態をさらしてしまった。

長いあいだ親不孝を重ねてきてやっとちょっとだけ恩返しができたという気持ち。それ以上にみんなの気持ちが嬉しすぎて・・・・・


よくよく考えてみると、今の音友さん(マイミクさん)の中で5年以上付き合ってる人はひとりもいない。
今はなき、布施にあった「まゆみの独り言(マスターの独り言)」よいう店に入ったことがきっかけで、
長い事さわりもしなかったギターをさわりだし、歌いだしてから知り合った人達ばかりで、長くて3年くらいだろうか。

これだけ大勢の人が住んでいる世の中で部屋の中で亡くなって何日も発見されなかったり、本来家族があるはずなのに、孤独な独り暮らしをしている人が少なくない今の時代に物凄いことだと想う。


あのわがままで頼りない息子にこんなにすばらしい仲間がたくさんいることを知ったオフクロが
一番喜んでほっとしてるんだろうな。


オフクロは昭和6年に生まれ(6人兄弟の2番目らしい。今は鹿児島に妹がいるだけであとの兄弟はすでに他界している)貧乏に苦しみあの悲惨な戦争も体験し、
終戦をむかえ結婚するも、私が産まれて38日目に「幽門狭窄」という大病に手術をし、同日に父親(旦那)は肺炎の手術をし、私に命をくれるように他界した。
 その後、まわりの人たちに助けられながらであるが、女で一つで何不自由なく育ててく入れた。
その息子(私)は幽門狭窄を皮切りに6度の脳腫瘍の手術(死を宣告されたこともあったほどの重病)他 体中傷だらけになるくらいメスがはいっている。この年(55歳)になっても結婚相手も見つけられず、当然孫の顔を見せてやれない。


オフクロの人生(今年84歳)は常に苦労を背負い、息子のためだけに懸命に生きてきたといっても過言ではないだろう。

そんなオフクロに神様が初めてくれたご褒美fが「野上家の初ライブ」だったのかな?

今、みんなから「日頃からのあやのこうじさんの人の評価が今回のライブやで」といってもらってるけど、実はおふくろの長年積み上げてきた徳がそうしてくれたんだろうな。

これから先は、この徳を食いつぶさないように、しっかり生きていくことがこれからの「あやのこうじいや野上聡」の責任なんやろな。えらそうなことをいっても今まで以上に廻りの皆さんに助けてもらはなければできないけど・・・。




長々と書いたけど、今の野上聡は人生において一番幸せな時期なんだよね。

あらためて今まで関わってくれたすべての人たちにありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。
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