ゲシュタルト崩壊は疲労のサイン?
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心理学的には、自我成長の契機なのですが、今どきの「崩壊」は、「疲れ」になるんですね(苦笑)
「杞憂」という言葉があります。
中国の周(B.C.1046〜B.C.256)王朝時代の、杞の国の人が,天が落ちて来はしまいかと心配したという(「列子 天瑞」の故事による〕
現代でも、「あれこれと無用な心配をすること。取り越し苦労」という意味で、使っています。
当時の周時代は、集約的な農耕社会を背景に持つ都市国家により、独自の国家思想という組織論文化を持った都市国家同士での交易により、都市国家を「富の蓄積」手段として遣いこなし始めていた時代です。
そのとき、そうした「都市国家の状況(ゲシュタルト)」に、「天が落ちてくる」ことを心配したヒトは、膨大な労働力と費用を費やした「都市国家」というゲシュタルトに、「崩壊」という不安というか、危惧を感じていたヒトがいたということで。
「組織に形成された自分vsその中での自我」という意味で、「ゲシュタルトが壊れる」ことを意識して、自分たちの文明国家を客観視?できたヒトがいたことに、ワタシは「文明史観の萌芽」を、感じていました。
当の本人は、エリートの神経症だったのでしょうが。
ワタシの親父は、飛行機嫌いで。
常々、「あんな重い物が、空を飛ぶはずがない」と、言ってました。
彼の神経症は、多分に趣味的なところがありましたが(苦笑)
で、神経症というのは、そのヒトを囲む環境との接点での、「主観的不適応」として発生します。
つまり理論的には、ゲシュタルトの変化により新たな適応が起きれば、今までの神経症は軽減するという理屈です。
だから認知療法とかのターゲットは、そのヒトの思考パターンを論理的整理することで、そのゲシュタルトの変容に迫ろうという考え方です。
トラウマとかが、新しい価値観や環境の変化で、解消する場合がある例が、これです。
芸術的自己表現もまた、作品として客体化が起きることで、ゲシュタルトの変容効果に影響するようで、多くの芸術活動が自己治療効果をもたらしています。
ここでの「ゲシュタルト崩壊」は、スマホの見過ぎで起きる目がボヤケる「スマホ老眼」とかを、言っているようですが。
急激な心理的ゲシュタルトの崩壊は、大きな不安から行動不全や適応障害を引き起こす場合もあって。
核家族化した生活環境での高齢者の場合、配偶者の死亡や子どもの独立とかによる環境変化で、こうした崩壊が起き。
結果、生活環境の孤立化で、ゲシュタルトが崩壊して、不適応から不全感が増悪し、一気に孤独死に至るケースが、結構あるようです。
最近、娘が独立した知人で、その初期症状が見つかり。
長く障害児教育とかに関わり、退職後は地域活動とかもしていた、かなり精神的には頑丈だったヒトなだけに、
「2,3年で、このまましぼんで、オレは死んでいくんだと思う」
とか言いだして。
ここにきて、燃え尽き症候群か?と、こちらが慌てています。
今、気づいた周囲が、連携していろいろな支援の手を考えていますが。
遠くに棲んでいることもあって、ふんだんの付き合も疎遠になっているので、難しい面もあります。
自分のボケを意識しないで、老害をふりまくヒトも、迷惑ですが。
なまじ真面目なヒトは、高齢になっても気の毒なことになるようで。
「遠い親類より、近くの他人」で、「見守り」といった地域活動は、都会でこそ、必要な時代を迎えているようです。
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