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2015年11月02日17:50

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ハートをつなぐメビウスネットワークより

「奇跡のコース」に、「私が世界を解放する」という、発想の転換について書かれている箇所があります。

私「が」こういう世界「から」解放される、のではなくて、わたし「が」こういう世界「を」解放する、と書かれているのですが、これは「創造モード」の発想であると言えます。

この「こういう(○○な)世界」の部分は、具体的には人によってさまざまに異なると思いますが、要するにその人が体験している世界のことです。平和な日本に住んでいても、「このどうしようもない、狂気の世界」と感じながら生きている人も少なくないでしょう。いずれにしても、「(○○な)」の部分には、ネガティブな言葉が入ることが多いのだと思います。

筆者は、この「私が世界を解放する」という発想は、旧人類の「被害者モード」の意識、すなわち「自分が望まないネガティブな体験をせざるを得ないのがこの地球であり、地上に生きている人間である」という意識の構えを逆転させる方法について語っているのではないかと思います。

まず、「奇跡のコース」の箴言を幾つか味わってみたいと思います。

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「わたしは自分が「世界」だと思っていたものすべてから、この世界を自由にし、そのかわりにわたし自身の実相を選択する。」(奇跡講座ワークブックp291)

「今日の主題概念が真実であるのは、世界は存在しないからである。そして、もし世界が本当にあなた自身の想像の産物であるのなら、あなたは世界にこうした外観を与えたすべての考えを変えるだけで、自分がこれまで「世界」だと思ってきた一切から、世界を解放することができる。病の考えをすべて放棄すれば病んだものは癒され、これまで抱いたことのある死の想念をすべて命の想念に入れ替えれば、死者はよみがえる。( 同書 p290)

「あなたが神の想念により創造されたように、この世界はあなたの想念により作り出された。だから、世界を自由にするのもあなたの想念であり、それにより、あなたは神と共有する想念を知ることができる」( 同書 p291)

「世界は存在しない。世界とは、神から切り離された想念であり、父と子を分離させ、神ご自身の一部を切り取り、神の全一性を破壊するために作り出されたものだからである。」( 同書 p291)

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ちなみに、ここで「世界は存在しない」、と言っていますが、それは宇宙が霊的な宇宙と物質(マテリアル)の宇宙の二元的な存在であるということを否定しているわけではないと筆者は理解しています。宇宙の意識は物質世界に表現される体験を通してしか進化できないからこそ、物質の世界を作り出したと考えるからです。

ここで「世界は存在しない」という場合の「世界」とは、人間あるいはエゴとしての「自分の想念の中のイメージ」のことであり、それは神が創造した本来の実在の世界とは異なる、ということです。というのは、この箴言を注意深く読むと、「あなたの想念」と「神と共有する想念」を区別していることや、「私が世界だと思っていたもの」と「私自身の実相」を区別していることから、私たちの想念が問題とされていることは明らかだからです。

一昔前であれば、このような発想はとうてい理解しがたいものでした。しかし、現在では、テレビや映画のメタファーによって「自分の見ている世界は、テレビで放送された映像のようなものである」ということがわかるようになりました。

最近では、パソコンやインターネットのメタファーで世界体験を説明している方もおられます。例えば、野口謙三さんは、「インターネット世界観」という仮説を提唱されています。それによれば、私たちは客観的な物理世界にいるのではなく、それぞれがバーチャルな立体映像体験をしているだけであり、それぞれの個人の世界は、インターネットのようなネットワークでつながっているという仕組みになっているというのです。

津留晃一さんも、私たちが見ている世界は、パソコンのディスプレイに表示された形が、実際はドットの点滅で構成されているのと、同じ原理で三次元の時間空間の世界に表現されているにすぎない、という説明をされていました。

なぜ私たちが「こういう世界」にいるのか、というと、地球人類の集合意識が、私たちのいわばOSとして「地球人としての基本ルール」について合意し、それに従って地球人としての人生体験を始め、その後永い年月をかけて集合想念を作ってきました。その体験が、現在の人類の標準的な人生ゲームの機能として定着してしまったというわけです。

筆者も、同じ考えです。人類としてのルールを決める基本ソフトはあるにしても、実際には、個別のアプリケーションソフトを導入することにより、各個人はいかようにも異なった体験を創造できるようになっているはずだと考えます。

もっとも、現在、人類の集合想念には、「人間は死すべき存在」という信念が含まれていると思いますので、なかなか一人の想念のエネルギーではそれに対抗することは難しいとは思います。

しかし、「人類全体の信念」が変わったら、「病の考えをすべて放棄すれば病んだものは癒され、これまで抱いたことのある死の想念をすべて命の想念に入れ替えれば、死者はよみがえる。」ということも現実になるのではないでしょうか。実際、地球のマテリアルの次元がアセンションした暁には、私たちの肉体も波動が精妙になり、寿命ももっと延びるとも言われています。

今の時点では、まだマテリアル世界の次元上昇ということは実現していないわけですが、旧人類の集合想念を変えることができるのは、また変えなければならないのは、他でもない、私たち自身なのだと思います。

そして、旧人類の基本アプリの機能がデフォルトで適用されてしまうこの世界においても、各人が「世界を創造する」という意識の構えにシフトして、「自分独自のプログラム」を意識して上書きすれば、容易に旧人類のデフォルトの体験から脱却できると考えます。

さて、ただの自分のエゴの想念であるものを、「存在する」と信じて、それに縛られている、あるいは世界にそのような決まりがあると信じているのは、自分の想念です。自分の想念が、自分の想念である世界を、「絶対的なもの」として、自分の前に据え付けて、自分をその世界に縛り付けているのです。それを据え付けているのは自分の想念なのだから、それを解放することができるものも自分の想念以外にはないのです。

自分が「世界はこういうものだ」と考えているから、自分が考えているとおりに、神の摂理が体験を創造してくれているだけであり、狂気の世界が『存在する』原因は自分の意識の構えが「客観的な世界はある」「この世界はこういう狂った世界なのだ」という「被害者モード」になってしまっているからです。

実際は私が解放されるべき客観的な世界などというものは、どこにも存在しません。それが存在するとすれば、私がしつこく「世界はこういうものだ」という信念を握り続け、その価値観通りの体験を作り続けているからでしょう。

もうすこし分かりやすくいうと、自分自身が、昔ながらの「世界のイメージ」を思考の材料として使い続けていることが問題なのです。わたしたちは、そのような、自分がこれまでの人生で拾ってきた、どこかの誰かによって作られた偽物の世界のイメージを発見したならば、自分の意志で、そのような世界を解放することを宣言しなければならないのです。

「この(その)世界は存在しない」と断言すればいいでしょう。

筆者は、偽物の世界体験の根元は、私たちが無意識に、あたりまえのこととして、生きる上での前提条件として受け容れている、この世界の漠然とした、「こうなればこうなる」あるいは「自分の自由意思とは関係なく、こうなってしまう」というような、世界の法則についてのイメージだと考えます。

この構え、この縛りは、無意識の領域に「暗黙知」として刷り込まれてしまっているのです。

私の場合は、「どうしようもない、狂気の世界」(例えば、戦争や犯罪に遭遇するというような)というような体験をする事はいまのところありませんが、「仕事はうまく行かないこともある」「仕事上の問題は、自分の能力では、なかなかすぐには解決しない」「自分の仕事は量が多くて、遅れがちで、常に忙しい」というような、無意識の構え、「世界の振舞についての先入観」は、間違いなく持っています。そして、その自分の想念が作り出した世界を体験しているのです。

まず必要なのは「自分が世界を見る見方の通りに世界は振舞っている」という理解です。自分が創り出している結果である世界体験を、何か実体があったり、変えることができないようなものとして見ている自分に気がつくことが必要です。

ないものをあると思い込んだ、旧人類の集合想念をコピーして、それを自動的に再生している思考が、自分の中にあることを発見したならば、そのプログラムを削除しましょう。その世界は実在ではないのです。

そして、「神と共有する想念を表現する」という積極的な「意志ないし意図」を含んだ念いで、自分の世界を創造することを始めましょう。自分が体験する世界の創造主は自分なのですから。

神は愛のエネルギーですから、「神と共有する想念」とは、神の愛の方向で物質世界での表現をするということに他なりません。

「私は世界を解放する」
「私は世界を創造する。」

それは、自分が神の子として、小さな宇宙を創造し始める行為でもあります。「創造モード」への意識の逆転は、自分の宇宙を自覚的に創造することであり、神の子として、神の創造力を使い、小さなビッグバンを起こすことです。そのような人が増えることにより、地球に、新しい人類の集合想念が創られていくのだと思います。

文 高橋 啓祐
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