http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16130 (写真入り記事)
1、『老眼鏡』は、中年以降の代表的症状である『近くのものが見えにくくなる症状』を改善するためにかける眼鏡です。
2、『顕微鏡』は、微小な物体を目で見える大きさに拡大して見せてくれます。
3、『望遠鏡』は、遠くの小さく見える物体を目に見える大きさに拡大して見せてくれます。
4、『天体望遠鏡』は、宇宙の遥か彼方の物体を目に見える大きさに拡大して見せてくれます。
これらの眼鏡やレンズを比喩的な意味で使ってお話したいと思います。
歳を取ることで、『遠くのものは見えるのに近くのものが見えなくなる老眼という症状』になるように、人生に疲れて、『今この時、この私』の状況が見えにくくなくなってしまう人はいないでしょうか。
そうすると、客観的には毎日忙しくしているし、充実した人生を生きているように見えるかも知れませんが、本人は、ただ忙しいばかりで、充実した人生とはほど遠い毎日を送っているという人はいくらでもいます。
そんな人に必要なのは、心の目の『老眼鏡』です。
過去や未来が見えるのに、今この時がぼんやりしているので、今の素晴らしさを見ることができません。
神に祈ると、神が今ここにいる私と共にいて下さいますので、神が私たちの心の目に『老眼鏡』をかけて下さっているように、今に目が開かれ、今を見ることができます。
それはそれは感動です。
『今は恵みの時、今は救いの日です。』(第二コリント6:2)
最近、感動していない、はち切れるほどの喜びを味わっていない、心いっぱいの充実感を感じていないという人がいたとしたら、心の老眼を疑った方がいいです。
神に祈り、神によって心の『老眼鏡』をかけて頂き、今の素晴らしさに目を開いて頂きましょう。
その時に使う心の眼鏡は、色眼鏡ではダメです。
赤い眼鏡をかけたら、すべてが赤く見えます。黄色の眼鏡をかけたら、すべてが黄色に見えます。青い眼鏡をかけたら、すべてが青く見えます。
ありのままを見るために、神が下さる心の眼鏡、心の『老眼鏡』をかけましょう。
メガネの次には、『顕微鏡』『望遠鏡』『天体望遠鏡』の3つです。
『顕微鏡』は、普段私たちがあまり気づかない小さな小さな恵み、良いこと、感謝すべきことを見せて下さいます。
聖書は、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103編2節)と語ります。
私たちは、どうでもいいガラクタのようなできごとばかりを記憶し、嘆き、不平不満を口にし、人を赦さないことはないでしょうか?
心の顕微鏡で、神がして下さった良いこと、他者がしてくれた良いこと、自分の強みや持ち味など、普段忘れているようなものに目を向けていきましょう。
祈りが鍵です。
神に祈ると、不必要なものが見えないようになり、必要なもの、感謝するもの、素晴らしいものをはっきりと見せて下さいます。
次に、『望遠鏡』です。
心の『望遠鏡』は、私たちの未来の希望を見せて下さいます。心の『望遠鏡』を見ると、希望が見えるので、決してあきらめない人になります。
牧師になって14年が経ちますが、私の教会一つ見ても、日本全体の教会を見ても、厳しい現実があります。
『日本の教会には閉塞感がある』という言葉が、キリスト教の新聞で盛んに使われてきました。
プロテスタント教会が日本に伝来してから156年経ちますが、クリスチャン人口は国民の1%に過ぎません。
それは現実ですが、心の『望遠鏡』を使って見ていない状況です。
心の『望遠鏡』で日本の未来を見るならば、希望があり過ぎる程あります。私は、日本の未来、日本の復興、日本の覚醒を信じ過ぎるほど信じています。
心の『望遠鏡』で未来を見ているからです。
『私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。』(ピリピ3:12〜14)
『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』(ヘブル11:1)
心の『望遠鏡』は、神に祈ることを通して与えられ、神の目を通して未来を見るということなのです。
そして、『この希望は失望に終わることがありません。』(ローマ5:5)と聖書は語ります。
最後に、心の『天体望遠鏡』を使いましょう。
私たちは、自分の感覚という心の裸眼で現実を見ています。そして、それが正しいものだと考えていると思います。
しかし、人間の感覚は当てにならないものです。
例えば、私たちの住む地球は、止まっているように感じないでしょうか?ちょっと勉強すれば、『そうではない!』ということがわかりますが、私たちの感覚は状況を正確に判断できていません。
地球は、時速1700kmで回り続けています。そして、1年で太陽の周りを1周しているのです。ものすごいスピードで動いています。
一体私たちは、
『どこから来たのか?』
『何んのために生きているのか?』
『どこに向かって生きているのか?』
正確に理解していない可能性があります。
心の『天体望遠鏡』で見なければ、誰にもわかりません。
誰一人、どこから来たのかを覚えている人はいないと思います。そして、これからどこに向かって生きていくのかもわからないと思います。わかっているのは、母親から産まれたこと、そして、やがて死ぬことくらいです。
心の『天体望遠鏡』を覗いたら見えてきます。
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��ゆえに、私たちはすでに死んでいる。
人類は、何とか死を超越しようとあらゆる努力をしてきました。宗教や哲学はそれを目指してきました。
しかし、すでに死んでいるものをどう生かすことができるのでしょうか? 無理です。
まずは、心の『天体望遠鏡』を使って、すでに死んでいる状況に抗うのではなく、そのままを受入れて下さい。
次に、イエス・キリストが、私たちの罪を赦し、死から解放するために十字架にかかって死なれ、復活されたことを受入れて下さい。
すでに死んだ私たちがキリストの十字架を知り、信じ、受け入れると次のことが起こります。
『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。』(ガラテヤ2:20)
キリストと共に十字架につけられることで、死から解放されるのです。
さらに、キリストと共に復活し、キリストと共に天の御座に座ります。
心の『天体望遠鏡』は、そのことを私たちに教えて下さいます。
�ぅ�リストと共に十字架にかけられたことで、死から解放される。
�ゥ�リストと共に復活し、キリストと共に天の御座に座る。
『罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。』(エペソ2:5〜6)
心の『天体望遠鏡』を使い、それで見ることで、罪がわかり、キリストがわかり、救いがわかります。
どうぞ、心の『老眼鏡』と『顕微鏡』と『望遠鏡』と『天体望遠鏡』を使って下さい。
昨晩は一日忙しくしていたので遅く休みましたが、今朝は早く起きました。
今朝は、祈りに始まり、インターネットの投稿しをました。それが終わる頃には、消防団の参集がありましたので、慌てて出かけました。
参集から戻ると、妻と一緒に車で訪問等の仕事に出かけました。
帰って来たら、すぐに超教派の賛美集会がありましたので、楽器を積んで出かけました。声がかれていますが、元気よく歌ってきました。
帰りは、業務スーパーに立ち寄って買い物をしてきました。ここで買う物がおいしいかどうかは別として、安いですね。
おでん1Kgで350円。やきそば1Kgで148円。うどんやそばは1袋で19円。フランクフルト1Kgで460円でした。
まもなく夕食です。私が買ってきたものが食卓に並びます。
とにかく、疲れて帰ってきました。
しかし、私には、心の『老眼鏡』と『顕微鏡』と『望遠鏡』と『天体望遠鏡』があるので、疲れたら休めばいいだけです。
私は幸せです。私は希望に満ちています。私は豊かに祝福されています。
それは、物事が願った通りに進むからとは、全く関係がありません。
今、世界のキリスト教会の中に、『繁栄の神学(福音)』(Prosper Evangelism)が流行っています。
『イエス・キリストを信じたら良いことが起こる!』『イエス・キリストを信じたら成功者になれる!』『イエス・キリストを信じたら思った通りの人生を送れる!』『イエス・キリストを信じたらお金持ちになれる!』などのことが教えらます。
決してそれは間違ってはいません。
しかし、神は豊かに私たちに与えて下さる方ですが、そういう目に見えることが祝福ではないのです。
目に見えることは、マタイの福音書6章33節に書かれている、『添えて与えられる』ものです。
『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。』(マタイ6:33)
神は、『添えて与えられる』ものを求めるようには教えていません。ただ、『まず神の国と神の義とを求めなさい。』とだけ教えられました。
祝福とは、神との関係の中で与えられるものです。
それは、『神が、私のありのままを愛して下さっている』ということ。これこそが祝福なのです。
心の『老眼鏡』と『顕微鏡』と『望遠鏡』と『天体望遠鏡』を使っていないと、世の中が考える繁栄を祝福と取り違えてしまうことがあり得ます。
『繁栄の神学(福音)』が教えられた人が、試練に遭ったらどう考えたらいいのでしょうか?
『私は神の裁きを受けている!』『神は私を嫌っている!』『私に何が間違っていたのだろう!?』
これが福音でしょうか!?
神は、私たちを良いものとして造られ、私たちのありのままを愛して下さっているのです。
神の救いは、私たちの行いと関係がありません。
神の祝福は、『添えて与えられる』ものがどうであれ、すでに与えられています。
最後に、心の『老眼鏡』と『顕微鏡』と『望遠鏡』と『天体望遠鏡』という言葉は、聖書のどこにも書かれていませんが、そういう内容が教えられているので、わかりやすくするために使いました。ご理解下さい。
聖書を読み、神に祈る時に、心の『老眼鏡』のように、今この時この私がどれだけ祝福されているかを知ることができ、心の『顕微鏡』のように、忘れていたり、見落としている素晴らしいものに気づかされ、心の『望遠鏡』のように、未来の希望をしっかりと持つことができ、心の『天体望遠鏡』のように、私たちの知り得ない神の領域を知ることができます。
知ったならば、神によってどれだけ愛されているのかを知ることで、祝福されていることを知り、罪が赦されて、死から解放され、自由で、平安と喜びに溢れた人生を生きることができます。
これが聖書が教える福音です。
みなさん一日お疲れ様でした。
また明日お会いしましょう!
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