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2015年10月31日09:04

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おかしな女性の立礼

誰が考えたのか知らないが、ビジネスマナーで教える女性の立礼はへんだ。そのへんな立礼が最近ではスーパーのレジのおばさんにまで強制されているので、やたら目につく。
何がヘンなのかというと、支払いをすませた後、両腕のヒジを張って両手を腹の前で重ねたポーズを一瞬とるのだ。
どうやらこれはお礼の姿勢のつもりらしい。その格好がヘンだし、私にとっては礼をされた気がしないので、正視できない。
あげくは、その格好が見たくないので、そのスーパーにいくのがいやになる。スーパーマーケットという文化的教養に乏しい場所がとんだ「勘違い」を広めているから困ったものだ。その格好が間違っている根拠を示すので、正しい礼に直してほしい。




1気をつけ



2礼
根拠1:礼は畏(かしこ)まった「気をつけ」の姿勢でやるもの

姿勢には坐位も立位も、「気をつけ」と「休め」の二種類がある。
それは軍隊でも同じで、われわれは小学校でその軍隊式「気をつけ」と「休め」を教えられてきた。その際、「気をつけ。礼」という流れで、礼をする時は「気をつけ」の姿勢になおすよう教えられてきた。これが正しい作法である。言い換えると、「休め」(リラックス)の姿勢は、礼をする時以外の、(長時間の)話を聞く時、する時の姿勢である。だから礼をする時以外では「休め」の姿勢でよろしい。ここまではOKね。
 次に、軍隊式でない「気をつけ」・「休め」の姿勢はどういうのかというと。小笠原流では坐位の姿勢をもとにしている。「気をつけ」は両手を自然に下に垂らし(指の間を閉じる)、手が体の真横というより、若干前方の腿に当てている姿勢。軍隊式のようにへんに力が入っていないのが特徴(右図1)。このまま股関節を軸に屈体すれば作法どおりの美しい立礼となる(右図2:屈体とともに両手が腿の正面に移動するのがポイント。その際両手はやや内側へ向け指を揃える)。
  次に「休め」であるが、正坐位では両手を腿の上で重ねる。どちらの手が上かというと、古式では「左が上」であった(今はこだわる必要はないが、そう言っている私自身、右を上にしている人を見ると気になってしまうのは作法家のサガ)。その応用の立位の休めは、両手を体の前で重ねる(もちろん軍隊式では体の後ろで重ねる)。だからテレビなどで、話している人がこの姿勢でいるのはよろしい(左図。手の位置は図よりも下でよい)。
休め

ところが、礼をする時、この「休め」姿勢のまましてはいけない(していいのは人前で畏まる必要のない皇族だけ)。それは小学校で習ったように、礼をする前には「気をつけ」の姿勢にしなくてはならないから。つまり小学生でも知っている常識。
 さて、問題のビジネスマナーでの女性用の立礼は、この「休め」姿勢のまま礼をしろというのだ。これは作法的には言語道断。礼に必要な敬意をこめない所作を意味してしまう。伝統的礼法からも、小学校の教育からみても間違っている。この「ビジネスマナー」、いったい誰が考え出したのか知らないが、とにかく本物の作法を知らない輩であることは間違いない。
昔の小津安二郎の映画(「秋刀魚の味」1967年)では上品な令嬢が正しい立礼をしていたから、このおかしな礼がひろまったのは昭和40年以降だろう。スーパーの経営者は、小笠原流礼法は知らなくても、小津の映画くらい見てほしい。こんな礼を小学校でやると、先生から叱られ、小学生から笑われるぞ。


根拠2:礼にジェンダーは不要

 銀行の ATMを使っていたら、作動中にアニメが出て、男女の行員が立礼を繰り返している。それを見ると、男の行員は普通の正しい立礼、ところが女の行員は礼をするたびに、両肘を曲げて、両手を腹の前で重ねる、例のおかしな所作(屈体はしているから礼とはいえるが)。その両肘の動きがやたら大きく、男の行員の屈体のみの動きに比べて、うるさいくらい。それを見て不思議に思ったのは、なんで礼の所作を男女で変えているのかということ。いったい何を根拠に。
 確かに服装が違えば、所作のしやすさも異なってくるので、男女の所作の差を設ける場合もある。たとえば、胸元が大きく開いて、超ミニのスカートなら、作法どおりの屈体による礼をするのに抵抗はあろう。だが行員のユニホームではその心配はない。ならば服装による実質的な考慮ではない。ただ単に男女で分けたいだけという能天気なジェンダー(社会的性別)意識にすぎないのではないか。そのような無思考なジェンダー意識が性差別を温存させることには鈍感なようだ。
  昔の小笠原流では、一部の坐礼に軽い性差を設けていたが、性差なしの所作が正式であった。現在の小笠原流では礼の所作に性差をつける根拠がないとしている。作法的に正しい所作には男女の差はないという考えだからである。当然、小学校でも「気をつけ、礼」の所作に男女差をつけない。
  作法は価値観の表現である。女性が自分の意思で女っぽさを強調したしぐさをするのは自由だ。だがそのしぐさが作法として女性だけに強要されるとしたら、それは性差別にならないのか。少なくとも私は性差別的価値観を表現した「作法」には反対する。
根拠3:所作には意味がある

ビジネスマナーの礼

腹痛の時

礼とは、相手に対する敬意の表現であり、これは洋の東西を問わず屈体(頭を下げる)あるいはそれに準じて自分の姿勢を下げる(ヨーロッパ女性の膝を曲げるコーテシー)ものである。ところがスーパーのレジでは屈体をせず、ただすばやく手を上腹部(胃)の前で重ねるポーズをとる。文脈では礼をしているつもりらしいことはわかるが、その所作では敬意が表現されない。
確かに手を重ねて礼をする国があった。古代の中国(周王朝)である(屈体しながら手を重ねる)。よしんば、サービス業界が古代中国式の礼(「揖」という)を3千年後の昭和40年以降に採用したつもりであっても、問題がある。なぜなら古代中国の揖では敬意の度合いを手の高さで表現し、低くても胸、高ければ、頭にもっていく。腹の前で手を重ねるのは敬意がない。

では例の所作は意味論的に何を表現しているのか。もちろんこの所作を「礼」にしようとした者は、所作には社会的に共有された意味があるとは思っていないらしい。この所作の意味は、われわれが日常で両手を腹にもっていく場合を考えればよい。それは「腹痛」しか思い浮かばない。

私の目の前の女性が、急に両手を自分の腹の上に持っていけば、腹具合が悪いのかなと思ってしまう。手の位置からすると、スーパーのレジ(頭すら下げない)は軽い胃痛で、女子行員は下腹部痛だ(頭を下げるからかえって痛みが強そう。右図)。
正しい礼、横から

つまり歴史的・慣習的根拠がなく、あるいはそれを無視して、誰かが勝手に作った例の「ビジネスマナー」は、民主社会では不必要な男女区別的思想に冒され(つまり現代的でもなく)、所作の文法ミスをおかして敬意を表現していない、見た目には腹痛と紛らわしい美的でない所作である。

作法家が正しい立礼(左図)をきちんと広めないから、どこぞの「ビジネスマナー」とやらにこんな捏造を許すのである。作法家の責任は大きい。

(ヴァーチャルモデル作成=Poser)
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