観音の力を心に念ずれば 一本の毛髪さえ損なうことはない・・・・ 観音経より
すなわち、まず何より自らの心というものの正体を知ることです。
自分の心がどのように成り立っているか その成り立ちの中で心はどのように働くか
それが見えないために人間は いつの間にか自分以外のものに心を操られ
心のままに動き 時には大きな失敗をしでかしてしまったりするものです。
自分の心を知るには まず自分の心を‘無‘にすることです。それが瞑想の行ですが
瞑想によって心を無にしてゆくと 心とは元々は空っぽのものだということが
生命の実感で分かってきます。空っぽの心の実感がわかると その空っぽの中に入ってくるものによって
自分の心が動き出すさまが 客観的に見れるようになってきます。
そして その心の動きが本来の自分でないということが理解できてきます。
さらに心の中にあらわれる様々な思いが それぞれにどういう世界から あるいは
どういう次元とかかわりあっているかという内訳も出来るようになります。
心が自分のものだと思い込んでいるうちは すでにその心に操られてしまっているんです。
心の場、いわゆる心の出口はひとつですが、その心の内側は まさに天上から地獄の世界に至るまで
様々な次元に連なっており 心はそうした世界からの波動に感応し その時その時に応じて
さまざまな想念となってあらわれているのです。
上の聖霊界からは 人間の霊性の進化に必要なことがらが ‘魂‘の意識となって伝えられてきます。
それが生命の真理を知る‘理智‘であり 心の世界におりて‘慈悲‘の精神となってあらわれてきます。
天界の世界からは 正しい精神を守るための意志力や現実の生き方に必要な力が
さまざまな智慧となってあらわれてきます。しかし、本人の‘我意識‘によって歪められると
意志の力は野望に・・智慧は悪知恵に変わってしまいます。
邪霊の世界からは 生きていた時に持っていた怨みや憎悪 さまざまな欲望への執念から離れられず
その思いを満たそうとして 今生きている人の心の中にあらわれてきたりもします。
色の世界からは 本人と接するこの世のすべての現象 すべての人の想念が
その人の心の中にもあらわれます。さらにはさまざまな人の想いで形成されている‘気‘も
波動を通して 個人個人の感情を動かします。
鬼神の世界からは 人の様々な感情そのものが すでに次元の違う存在の生命であり
したがってそれをより大きく育て 時には本人の理性ではまったくコントロール不能になり
本人はその感情に完全に支配されてしまったりします。
そうした時 そこから大きな悲劇へと繋がってゆくのです。これは心すべきことです。
このように 人間の心とは自分の心のように感じてはいても 実はさまざまな次元の
さまざまな接点の中に動いているものであり 心自体がもともと持っている思いなどというものは
無いのです。
つまり 心に接するものや心に入り込んできたものによって 心が動かされているだけなんです。
そうしたことがわかれば・・・自分の心の中に入れるものを 自分で選ぶことも出来る!
ということになりますよね。
つまり 進化に適う想念を心に満たせば 当然 良い心となるし 邪霊の想念に心をまかせれば
いやも応もなく 嫌な心になる。それがわかっていて 邪霊の想念を選ぶ人はいませんよね。
邪霊とつながった不快な心を大切にしている人たちというのは 実はその心の中味が
自分じゃないってことに気づいていないんです。
要するに 心に操られる自分を・・・心を操る自分へと変身する!
それがそのまま個々の‘霊性の進化‘を実現することに繋がっているのです。
それで この世に生きてゆく上での毎日の心を 具体的にどう管理すれば良いのでしょうか・・・・?
大切なのは・・・ 自分の心のカップの中に 自分の意志で選んだものを入れられるかどうか・・・
だから 見えない世界なんか認めたくなきゃ 認める必要はない
ただ、皮肉なことに そうした次元の違う世界を決して認めようとしない人が
現実にその世界とつながって 戦いの怒りの中に自分が支配されている事実に気づいていない・・・
そして そうした世界もある・・・と気づいた途端 そうした世界から支配されなくなって
自分の心を自分で操れるようになるもんだから皮肉なもんですね。
人間の魂というのは ごく普通の状態においては ほかの邪霊の想念などからの
悪い影響を受けないよう ある種の防御網のようなものに守られています。
ただそれは霊次元の波動で出来ているものですから 目に見えるものではなく
魂は常にこの防御網によって守られているので まわりの様々な邪霊の想念の中に
さらされていながらも 何事もなく無事でいられるのです。
防御網は高い聖霊界から下ってくる波動は通過させますが 低いレベルの邪霊の波動は
シャットアウトする働きをしているからです。つまり‘魂‘は 進化に導く波動とのみ繋がり
進化から脱線させる波動とは繋がらないように守られているのです。
しかし、この防御網もいつも完全なはたらきをするという訳にもゆかないのです。
この防御網を乱す元となるのが 理性を麻痺させてしまうアルコールの中毒や薬物中毒など
さらには何かのはずみで起こしてしまう強い怒りの感情などです。
そうした時 怒りに共鳴する邪霊の想念や 怒りそのものを生命とする夜叉、阿修羅など
異次元の存在と結びついて 怒りの波動は増幅され膨れ上がり 本人の理性ではコントロールの
効かない状態となってしまい そうなると本人は見えない力に操られて自分でも信じられないような
凶暴な行動にかり立てられるのです。そのような事件も最近は多いように思います。
そんな時に忘れてはならないのが 「真我の精神」です!!
この精神が しっかりと自分の感情を見張っている限り 邪霊の想念が入り込んで来るスキもないし
夜叉や阿修羅によって怒りの心を強められたり 凶暴性にかり立てられたりする事もありません。
この精神を どこかに忘れてしまうことが‘われ‘を忘れる・・・ということで
そうした時いつのまにか心は自分以外のものに操られてしまうのです。
私たちの今世での務めは 自分の意識の働く場所は 自分の生命の中に限られていることを
知ることであり それによって観音の理智が自らの精神の中に働き
無明の闇を消すことなのです。
光り輝く身魂 精神であることを自ら受け入れることなのです。
http://blog.livedoor.jp/ann076/archives/52057472.html
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