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2015年10月26日08:32

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【200】 2015/10/25(日) 神の義と人の義」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16118

今日で「一日一シャ」200回目。毎日楽しく続けています。読みに来て下さる方々に感謝しています。

今日も、教会で一言では語り尽くせないほど素晴らしい一日を過ごしました。

今日は私が大切にしているお話をしたいと思います。

聖書は、『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』(マタイ6:33)と語ります。

ここに、『神の義』と『人の義』が書かれています。

神の義とは、神との関係で与えられる義であり、自分を根底から支える力です。聖書は、『これを第一に求めなさい!』と語ります。

そうすると、『これに加えて、これらのものはすべて与えられます。』と書かれています。これが人の義です。

人の義の中身は、聖書の文脈から見ると、『何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。』(マタイ6:31)ということであり。つまり、衣食住や、神以外から与えられる満足感です。

神の義を求めたら何が与えられるでしょうか?

『神がありのままの私を愛して下さっている』ことを知り、そこに憩い、そこで平安を得、満足して生きることができるようになります。

これが、聖書が教える祝福なのです。

しかし、人の義はわかりやすいです。誰もが実感しやすいものです。

『成功し、お金持ちになり、権力を得、有名になることで、自分は重要な人物だ!』と考えられるようになるので、『だから私は大丈夫だ!』と、そこに自分の存在価値を見出し、自己満足して生きるようになります。

しかし、人の評価は流動的で、いつでも変わります。

昨日まで成功者として認知され、お金持ちでモテはやされ、権力者として特別扱いされ、有名人だったのに、それが一日にしてひっくり返って、全く違った評価に変わることがあります。

そこに自分の存在価値を見出していた人は大変です。天国から地獄に、平安と満足から、不安と怒りに変わります。

神の義を求める人は、神との関係の中で義を得られますし、神の愛は決して変わりませんので、何があっても揺るぐことはありません。

元々、多くのクリスチャンや牧師先生たちと友達でしたが、最近、500教会を回ったことで、さらに友人や知人が増えました。

その中で、神の義を求めて、どんな状況の中でも感謝し、平安を得て、喜んでいる牧師に出会うと、私は、心の底から喜びに溢れます。

しかし、中には人の義を求めて、今教会の立派な建物が建ち、多くの信者が教会に集い、成功し、有名になり、お金持ちになっているなどの理由で高ぶり、自己満足し、人を見下すような牧師や聖職者がいない訳ではありません。

また、人の義を求める人の中には、私の教会は建物も古いし、10人も集まっていないし、力のない牧師です、と劣等感を感じ、自己卑下をし、『自分はダメだ!』と考える牧師に会うこともあります。

教会の建物、教会の教勢、教会の財政、成功しているかどうか、有名かどうか、そんなことで自分の価値を高く見たり、低く見る牧師と出会うと、せっかく神を信じ、神の働きをしているのに、そこには本当の喜びはありませんし、大変だろうなーと思います。

私は、『教会の建物、教会の教勢、教会の財政などは全く関係ありません。神から与えられた使命を知り、それを忠実におこなっているかどうか?それだけが大切です。先生は、あるがままで愛されています。だから、他の教会の牧師とご自分を比較しないで下さい』とお話します。

もちろん、それは頭ではわかっています。しかし、現実は教会の建物、教会の教勢、教会の財政などによって、人の評価は変わります。

教会が地域からどう評価されているか?も、現実は教会の建物、教会の教勢、教会の財政などと関わってきます。

また、クリスチャンの雑誌や新聞やTVやラジオの番組がスクープするのは、現実は教会の建物、教会の教勢、教会の財政があり、目を見張る働きをしている教会や牧師ばかりです。

これは人の義であり、世の中にあるれっきとした価値観です。

しかし、世の中の基準や価値観を教会や心の中に受け入れることは、この世と妥協することです。

『この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。』(ローマ12:2)

どうぞ、神の義。すなわち、神がありのままで私を愛して下さっていることに自分の存在価値を見出し、そこに平安と満足を得、神から与えられた使命に忠実に生きていきたいものです。

私は、多くのクリスチャンの方々と知り合い、話している中で、洗礼を受け、教会には通っているのに、神様を知らない人が案外多くいることに気づきました。

そういう人の特徴は、人の義を第一に求めています。

私は、『どのようにしてイエス様を受け入れたんですか?聞かせてもらえませんか?』と言いますと、イエス様の話や、イエス様の十字架と復活の話は全く出てこないで、『私は、〜教団の教会の〜牧師から洗礼を受け、・・・』と話してくれますが、人の話ばかりです。

その人の問題もありますが、その教会の先生が、神の義よりも、人の義を求めるように教えられていたのではないかと感じます。

人の義はプライドを満足させます。そして、高ぶり、高慢になり、人を見下します。

あるいは、人の義は、人からの愛や、人からの評価、人からの親切を求めます。それが満たされないと不平不満を言い、教会を移動します。

しかし、人の義を完全に満たしてくれる教会なんてこの世に存在しません。

教会から教会、教会から教会を渡り歩き、永久に神と出会わず、いつも不満を持ち、他のクリスチャンと会うと、『あの教会は・・・』『あの牧師は・・・』『あの教団は・・・』と、ひたすらそんな話に明け暮れます。

神の義を求める人は、そういう人の話に興味がありません。イエス様の話、聖書の話、自分がどのようにイエス様から救われて、イエス様からどれだけよくしてもらっているかを話したいと思います。

聖書は、『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。』と語ります。

神との関係を第一にし、神との関係の中で愛されて、満たされて、平安を得て、喜ぶ人生を生きていきたいものです。

人の罪の性質は、『死のとげ』です。死という病にかかっています。だから不安なので、目に見えるものにすがり、目に見えるもので自分を支えようとしてしまう弱さがあります。

しかし、人の義に解決はありませんし、かえって不安と恐れと怒りに苛まれるだけです。

神に立ち返り、神を求め、神との関係で生きていきましょう。

その時、罪はいやされ、幸せになり、神の栄光を現わす人生がスタートします。

200回を記念して、私が大切にしているお話が出来て感謝しています。

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

また明日お会いしましょう。
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