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2015年10月25日06:40

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カクレキリシタン

■長崎のかくれキリシタン信仰、存続危機 人口減・高齢化
(朝日新聞デジタル - 10月24日 12:47)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3678956
長崎県平戸市の生月島で今月、かくれキリシタンの信者組織「垣内(かきうち)」が一つ、解散した。禁教をくぐり抜け、450年伝えられた信仰は、地域の人口減少と高齢化で風前のともしびだ。


 10月4日午後、平戸市生月町博物館・島の館に、年配の男女16人が数台の車に分乗して集まった。軽トラックから背丈ほどの木製のタンスのようなものを下ろすと、館内の一室で長机の上に据えた。


 タンスのようなものは「オコクラ」と呼ばれ、かくれキリシタンが「御前様(ごぜんさま)」と呼ぶご神体を納めている。観音開きの扉を開けると、それが見えた。聖母子と2聖人の「お掛け絵」だ。青い雲が彩色されたばかりのように鮮やかだ。


 お神酒と果物を供え、16人は声をあわせてオラショを唱えた。その様子を撮影した学芸員の中園成生さん(52)は、オラショが終わると「おつかれさまでございました。博物館で大切にお守り致します」とあいさつした。


 16人は上川(かみがわ)垣内に所属するかくれキリシタンの信者たち。この日、解散する垣内が守ってきた信仰用具を博物館に寄贈しに来た。


 垣内の重要な役職である「御爺様(おじいさま)」を務めた経験があり、垣内の代表格の田渕武明さん(78)は取材に「寂しい。もっと拝み続けたかった」と悔しそうな表情を浮かべた。
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以上引用

潜伏キリシタンのうち、カソリック教会に復帰しなかった人達を、隠れキリシタンと言い、在家の信仰の為、過疎化高齢化で信仰の維持が出来なくなり、今回の様に信仰の用具を公的機関に保存してもらう事になったのですね。


https://www.youtube.com/watch?v=eub0wXF9Mp0

https://www.youtube.com/watch?v=oWTC6xa-3i8
江戸時代のキリスト教禁教によりカトリック信徒は潜伏キリシタンとなる訳ですが、250年間と潜伏が短く、記録が残り、記憶の変節が少なく、異教に変節することもなかったのでしょう。
また秘密の在家の教えであったことや、「七代後に宣教師が再来する」との予言もあって、多くの信徒が教会復帰しましたが、異議を感じ諸般の事情で教会に復帰しなかった人がカクレキリシタンになったようです。
そういえば、鹿児島に同様の禁教となり潜伏した浄土真宗の信徒、隠れ念仏の人達がいましたがこちらも似たような感じです。
隠れキリシタンhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%82%8C%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3
隠れ念仏https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%82%8C%E5%BF%B5%E4%BB%8F
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