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2015年10月21日18:25

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難行苦行の千日回峰を達成した人は自分は救われるか知らないが、他人を救う事が出来るのだろうかと今も思うは私だけだろうか?

■9日間断食不眠! 延暦寺の荒行「堂入り」、釜堀住職が満行 戦後13人目
(産経新聞 - 10月21日 11:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3673370

 満行を終えた延暦寺善住院住職、釜堀浩元さん(41)も、この千日回峰を酒井雄哉さんは二度やったと言うことで鉄人の異名があるが、大したものだ。

 が、私は延暦寺善住院住職、釜堀浩元さん(41)をけなす訳ではないが、難行苦行の千日回峰を達成した人は自分は救われるか知らないが、他人を救う事が出来るのだろうかと今も思うは私だけだろうか?

 私は以前にーー

 彼、大阿闍梨、酒井雄哉さんが人を、他人を救ったと言う話を寡聞にして聞かないがそんなに褒めそやす人だったのでしょうか?
http://tengunosasayaki.seesaa.net/archives/20130925-1.html
                   2013年09月24日19:53

 2度の荒行達成、酒井さん死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2588671

 結論から言って、大阿闍梨、酒井雄哉さんから救われた人がいるのだろうか?

 私は酒井雄哉さんの話を二回聞いた。 またテレビでも見た。

 一回でも難しいと言われる千日回峰、それを二回も達成は称賛に値するのは言うまでもない事だが、彼、酒井雄哉さんから癒しなり、救済されると言う事は得られないし、救われると言う事はない。

 彼の話は自分が難行し如何にして千日回峰をしたとか、そんな話ばかりで、彼から得るものは何もなかった。

 難行易行と言うのが仏教にあるが、難行は密教系で、易行は法然、親鸞ららの念仏(顕教)だと言われる。

 酒井雄哉さんは戦後は職を転々としたが、結婚2カ月の妻が自殺したことなどをきっかけに39歳で得度した。と言う事だが世捨て人で、世俗から逃げた人だと私は話を聞いた時に思ったものだ。

 彼は比叡山に逃げ込んで、自分は救われたかもしれないが、難行である千日回峰を二回したとのことだが、彼からは人を、他人を救うと言う話も無く、千日回峰の苦労の話をあれこれ話しただけで、中身も無く、他人を救うような言葉を聞かないし、NHKのテレビで密教の本山でもある中国の黄山に登っている酒井雄哉さんの映像を見たが、これさへも弟子に背中を押して貰ってと言った調子で、この人、何の為に黄山に行ったのかと疑問に思ったものです。

 そのような人を何故、世間が、テレビが、NHKらが褒めそやすのか私には理解出来なかったと言うのが正直な思いである。

 彼、酒井雄哉さんが人を、他人を救ったと言う話を寡聞にして聞かないがそんなに褒めそやす人だったのでしょうか?
                             続く―――以下省略

(続きも読んで頂ければ幸いです。)

 と書いたが、今も私は、難行苦行の千日回峰を達成した人は自分は救われるか知らないが、他人を救う事が出来るのだろうかと今も思うは私だけだろうか?

 と思っているがどうなのだろうか?

 > 比叡山延暦寺(大津市)の荒行「千日回峰行」のうち、比叡山中の明王堂にこもり9日間、断食、断水、不眠、不臥で不動真言10万回を唱える最大の難行「堂入り」に挑んでいた延暦寺善住院住職、釜堀浩元さん(41)が21日未明、無事満行し、出堂した。達成した行者は8年ぶり、戦後13人目。

 千日回峰行は比叡山中などで7年間かけて行われる修行で、1000日間で約4万キロ(地球1周分)を歩く。堂入りは700日目から始まり、不動明王と一体となることを目指す行。

 白装束姿の釜堀さんは午前0時15分ごろ、不動明王に供える最後の水くみを行ったあと、堂内で最後のお勤めを終え、断食後初めての薬湯を口にした。

 午前2時前に正面の扉が開かれ、両脇を僧侶に抱えられて出堂。衰弱した様子だったが、しっかりとした足取りで前を見据え、歩いた。約600人の信者が不動真言を唱えて釜堀さんを出迎えた。

 出堂を見守った岐阜市の主婦、堀総子さん(68)は「9日間も不眠不休だったのにしっかりされていた。満行できて良かった」と感動した様子で話していた。

 釜堀さんは平成23年3月から千日回峰行に入った。29年まで続く予定。
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