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2015年10月21日10:17

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自然の驚異に感動する感性を子供たちから奪ったもの。

ジャポニカ学習帳の表紙から「昆虫」が消えた、本当の理由
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=3673142
昔から子供の10人が10人みな昆虫好きではなかった、確かに子供のなかにも虫嫌いはいただろうが、今回の問題は、そういう少数を尊重するとか、マイノリティにも配慮することとはちがうのではないか?

子供たちが、自然と、風や光や雨や土と触れ合う機会が日常から消えている、その機会を奪っているのが大人たちであり、親たち、教師たちであり、すなわち社会なのだ。

草むらで蚊に刺されて思わず裸の腕をはたくと、なにかがつぶれる気配がして、自分の血とつぶれた蚊の死骸がそこにあるのに気づく前に、防虫スプレーをしてしまう。カブトムシを取るのに、昆虫図鑑で捕獲方法を調べて、クヌギの木を見つけて何日もそこに通ったり、一匹も取れなくてもワクワクする気分を味わうかわりに、児童公園に大量に放たれた、養殖されたカブトムシ捕獲会に参加する。

なぜそういうことになってしまったのか?昔は大都会で暮らしていても、まだそこらにちいさな自然が残っていた、しかしいまや校庭も舗装されて土もない。ではまだ田舎ならそういう機会が残っているのか?私が暮らしている地方都市(県庁所在地)の市街地にある住宅でも最近タヌキが出没している。自然が豊かどころか、地方でさえも自然のバランスがおかしくなっている。

子供たちをまともに自然に触れさせようと思ったら、お金と時間と手間がかかるようになってしまったのだ!さらにメンドクサイから、ネットを利用する。困ったことにネットというのは、好き嫌いの感覚を増幅させる効果があるから、昆虫好きはとことんマニアになっていくし、昆虫嫌いはますます嫌いになっていく、そういう子供たちを親たちはコントロールできない、というのが実情なんだろう。

世界は驚異に満ちている、ということを知ったのは、子供のころ夢中になったテレビ番組『すばらしい世界旅行』だった。そこでアマゾンの裸族も、チベットの鳥葬(ボカシ入り)も、ガンジス川で焼かれる死体も見た。ジャポニカ学習帳の表紙どころではない、しかしそれが私にとって知的好奇心の出発点だったのだ。

いまでもナショナルジオグラフィックの表紙には、その名残りがある。

こんなふうに子供たちをますます昆虫嫌いにしているのは、この高度情報化社会であり、その子供たちをダマすようなやり方で儲けているのもそのシステムであることが問題なのだ。


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