(photo:中国植林ツアー最終日のラクダのキャラバン。)
http://s.ameblo.jp/masa-universe/entry-12074838878.html
-その日、
着陸の機内アナウンスで目覚めた僕の水晶体は、驚きの光景を映し出した。
それは見たことのない、澄み渡った北京の空だった。
この数日前、大陸を通り抜けた風がスモッグを晴らしたらしい。
その5日後、
沙漠での植林を終え、
国内線で再び北京空港へ向かう機内に着陸のアナウンスが流れた。
そこにはいつもの北京の空が広がっていた。
そして北京から日本へ帰る機内。
スモッグの空を抜けると、当たり前だが、眼下には分厚いスモッグの空が広がっていた。
僕は懸命に、これを問題視しようと試みた。
けれど、心に湧きいずるものは、、、
みんなと過ごした時間や、
中国のこどもたちの笑顔だった。
(つないだ手に気づいた?)
この映像みたことあるかな?
地球を離れて宇宙の果てに行き、再び地球に帰って来る、というもの。
映像をクリックすると、
どんどんどんどん僕らの故郷の星が小さくなっていく。
日常も、戦争も平和も、大きなものの中にとけ込んでゆく。。
辿り着いた宇宙の最果て。
そこから再び僕らの命のある天の川銀河へと向かう。
そして2000億個の太陽の中に、僕らの太陽を見つける。
その軌道上に青い星が見えてきた。
懐かしい、あれが僕らの故郷だ。。
そこで僕は、ぬくもりを感じた。
この世界で起きている争いごと、
けど、そこに争うことのできる相手がいること、
その体温を感じることは、こんなにも嬉しいことだったのかと。
このフラクタルな宇宙で、
ひとつの旅を終えることと、
地球での人生を終えることの、構造は同じ。
人は、旅と人生の終わりに何を想うか?
それは、
『問題だらけのこの世界が、今こんなにも愛しい』だ。
僕たちは、ほんとは問題さえも愛おしい。
わかりあえること、わかりあえないこと、
その問題の向こうに相手がいること、
それが本当は、うれしくてたまらないんだ。
ボクしかいなかったセカイにキミを姿を思い浮かべた。
その破裂する喜びが宇宙のビッグバンとなり、
たくさんの「ボク」と「キミ」が生まれた。
近い未来、科学は発見するだろう。
「そう、宇宙は喜びから生まれた。」と。
人は大気汚染でさえ、愛おしく想えるのだ。
だってこの空の下に、僕らが過ごした日々があり、
出会った友達が今日も生きてると想うと、ぬくもりでしかない。
例え専門家が、問題だ、と言ったとしても。
旅の終わりの空と、人生最後に見る空の色は、おなじ『愛しい』という色。
宇宙の子
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