http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16105 (写真入り記事)
受けて与えることが祝福だということを視聴覚教材として教えてくれるのが、イスラエルにあるガリラヤ湖と死海です。
ガリラヤ湖は、上流から一滴水を受けたら、一滴下流に水を流します。受けて与えることで水の循環がなされ、湖をはじめ、その周囲は命に溢れています。
一方、ガリラヤ湖から流れた水の終点は死海です。海面下400mにあるため、地球のおへそのような場所で、それより低い場所がないため、受けるだけで与えることはありません。
水は行き場を失い、溜まり水となり、流れ込んでくる水よりも蒸発する水分の方が多いので、塩分濃度が濃くなっています。海の塩分濃度が3%なのに対して、死海の塩分濃度は35%です。
死海には(基本的に)命はありません。(エン・フェシュカは例外で、泉が湧いていて塩分が中和されて魚が泳いでいます)
もちろん、貴重な成分が取れますし、体が水に浮くことで有名な観光地ともなっています。
しかし、イエス様は、『あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。』(使徒言行録 20章35節)と語りました。
イエス様は、受けて与える人生の幸いと祝福を教えられました。
私は、そのことを心がけています。
1、 与えられた収入の1/10を神様に献金し、お返ししています。
私を造り、生かして下さっているのは神様です。すべては神様のものです。だから、全部を返すべきですが、1/10をお返しして、捧げることで、全部を捧げたと見て下さいます。
『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』(マラキ3:10)
捧げて、体験した人にしかわからない世界ですが、神様が、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注いで下さっています。
献金は、受けて与えることですが、それで終わりません。さらに受けるのでまた与えるという好循環です。
2、 神から恵みを受けて、人々に与える
神様から愛され、祝福されているので、ボランティア活動をしています。
(1) 教会の働きは主に仕えるボランティア活動です
今日、多くの教会の牧師がサラリーマン化していると言われます。
教会から『リクルートされる』ことを『招聘される』と言いますが、その時に、神様に祈って決めるのではなく、『月給はいくらですか?』『教会員は何人ですか?』などを重要視するというのです。
わからなくはありませんが、私は、牧師の働きは、神へのサービス、奉仕、ボランティアだと思っています。そして、教会に捧げられた献金の中から、生活を支えて頂いていると思っています。裕福でなくても、必要が満たされるならそれで十分です。
『私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。』(第一テモテ6:7〜8)
(2) キリスト教の超教派活動をボランティアで行っています。
合計14のボランティア団体に所属しています。ある程度裕福な団体からは、交通費などの実費を頂くこともありますが、完全無料奉仕です。
私は、神様の働きの役に立ちたいので、必要に応じて教派を超えた働きのお手伝いをしています。
今日は、新宿大久保通り教会防災ネットワーク(S.O.S)の役員3人で、新宿消防署と新宿区役所に会議と手続きのために行って来ました。
最近は、フランクリン・グラハム大会のために多くの時間を割いて奉仕をしています。私が所属している部署は、一つでも多くの教会に参加してもらい、協力を得るために、一つひとつの教会を訪問して、頭を下げてお願いしています。トータルで500教会くらいを回ったと思います。
時々、頭の中には、『お金にもならない仕事のために、どうしてそんなに時間を使い、熱心に働いているの!?』という否定的な気持ちになることもありますが、すぐに打ち消します。
奉仕の中でも、例えば、説教者や音楽の奉仕をする時などには、謝礼をいただけることがほとんどです。また、結婚式や葬式などの冠婚葬祭の司式を行うと、やはり謝礼をいただけます。
大会の奉仕をしていると、裏方で苦労をしている人は完全ボランティアなのに、前でお話や音楽をする人はそれなりの謝礼を頂きます。人間的に考えると、『不公平だ!』という気持ちになることがありますが、すぐに打ち消します。
私は、行った先で謝礼や献金を受けても、全部教会に献金します。だから、もらってもまらわなくても、手元には何も残りません。
また、サラリーマンのように報酬や給料をもらって生きているのではなく、必要が満たされればそれでいいと思います。
神様はすごいですよ。数年前に、100万以上の教会の会計が赤字となり、生活費がまったくもらえなくなってしまった時期があります。心細く、胃が痛くなりましたが、神様に委ねて悩まないことに決めました。
ある日、久しぶりに会う人から電話で新大久保駅に呼び出されました。そして、分厚い封筒が手渡されました。
「神様が『菅野先生に献金しなさい!』と言われたので献金します。」と言われました。
私は泣き崩れるような思いでした。神様はちゃんとわかっておられるんだということがわかりました。必要が満たされたばかりか、少し余裕が与えられました。
最近、また会計が厳しい状態にあります。
昨年は、PTAの働きに多くの時間を費やし、今年は、フランクリン・グラハム大会に時間を費やしていて、平日にボランティア活動に力を入れて、収入が入る仕事をしていないので、教会に献金する額が減ってしまっていることもあります。
しかし、心配しません。神様はちゃんとわかっておられて、必要な時に、必要なものを満たして下さると信じます。
橋は橋のたもとに来てから渡ればいいのです。お金も、必要な時までに手元にあればいいのです。
何か、乏しい話をしているようですが、私の心は豊かです。満ち足りています。そして、すべてを持っていると考えています。
『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。』(エペソ1:3)
3、 伝道します。
昨年から、約3万枚のチラシを印刷し、折込、ポスティングをしたり、手渡しして伝道しています。
今日の午前中は、ずっとチラシを折込んでいました。お昼過ぎに消防署と役所に行きましたが、帰って来たら、またチラシを折って、夕方から伝道に行きました。
久しぶりに地元の大久保駅前で1時間半チラシを配りながら伝道しました。そして、すぐに新宿駅東口アルタ前に行って1時間チラシを配りながら伝道しました。
歩いている人と併走しながら声をかけて伝道し、チラシを渡します。
なぜか、飲み屋の呼び込みのお兄さんと動きが似ています。チラシの大きさまで同じなので、呼び込みのお兄さんと勘違いされて、強く拒否されることもありましたが、あの呼び込みのお兄さんたちは、拒否されても、嫌な顔をされても全く気にしない様子です。
私は、天国の呼び込みです。私も、人々を愛して、嫌がられても気にしないで伝道し続けたいと思います。
伝道も、受けて与えることです。ただ(無料)で受けて、先に救われました。今度は、ただ(無料)で与え、この救いを手渡したいです。
4、 祈ります。
祈りは霊的な呼吸のようなものです。人は、呼吸を止めたら生きていきません。同じように、祈らなければ、霊と魂の命はなくなってしまいます。
私は、祈っている時が一番幸せです。
今日は、第202回半徹夜祈祷会が行われました。参加者一同、喜びに溢れました。
また、できる限り毎晩寝る前にプレヤー・ウォーク(祈りの歩行)をしています。街と出会う人のために祈ります。心は喜びにあふれて帰ってきます。しかも、軽い運動になるので一石二鳥です。
人生の醍醐味は、受けて与えることにあります。
通常、受けることが幸いなのに決まっています。しかしイエス様は、『受けるよりは与える方が幸いである』と教えられました。これは体験した人にしかわかりません。
与えるということの中には、『負けるが勝ち』と言われるようにあえて負けること、相手に譲ること、無条件に赦すこと、これらも与えることです。
困っている人を見て、手伝ってあげること、必要なものを差し上げること、これも与えることです。
利己的で自己中心な人は、『損をすることだ!』としか感じないと思います。しかし違います。損はしません。心に言い知れぬ満足感が与えられ、得をします。
私は、神を信じるようになってからそのことを体験してきました。
『あー、聖書に書かれていることは本当なんだな!』といつも思います。
今日も素晴らしい一日でした。特に、与える喜びに満たされた日でした。
痛みも経験しました。しかし、それを赦し、受け入れるという与える行為を行ったことで、喜びが失われることなく、満ち足りた一日でした。
そして、みなさんに一日一シャを分かち合うことで、さらに喜びが一杯です。
いつも読んで下さって感謝致します。
おやすみなさい。また明日お会いしましょう。
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