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2015年10月19日22:39

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さらば485系。

■国鉄時代に製造、485系ラストラン JR九州
(朝日新聞デジタル - 10月19日 06:46)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3669542


大阪駅の特急発着ホームに行けば、何時でも会えた485系。
新幹線で親の田舎の九州へ帰省すれば、そこにいつも在来線ホームに佇む彼らを見ることが出来ました。

そんな485系も、現在定期運用は北海道連絡特急「白鳥」だけ、あとは臨時用のわずかな数が残るのみ。
今回記事になった九州の485系も、既に定期運用は無く、何時タイムアップの笛が鳴ってもおかしくなかった。

ワタシそういえば九州の485系、乗ったことは一度も無いな・・・見るのは散々見たんですが。
印象に残ってるのは「にちりん」かな。
キハ82と競い合うように走ってた。(当時は日豊本線の宮崎以南は非電化でした)




かつて九州各線が電化してから、新幹線が博多まで開通するまでは、本州からの直通特急「なは」(新大阪-西鹿児島)「みどり」(大阪・岡山-大分・宮崎)「日向」(大阪-宮崎)「つばめ」(岡山-熊本)と大車輪の活躍だったとか。

新幹線が出来てからは「有明」(鹿児島本線)「にちりん」(日豊本線)「かもめ・みどり」(長崎本線・佐世保線)と線区別に整理されました。
当時残ってたボンネット車は、ヒゲ塗装を省略して海坊主みたいな顔になってたのね。
181系からの編入車も二両だけ居ましたが、明らかに車高が違う(笑)あのアンバランスさはたまらんかったね。

「かもめ・みどり」は長崎行きの8両と佐世保行きの4両に途中で分割されるのね。
佐世保行きには当時珍しいクロ481をつなげてました。
4両で特急ってんで、特急は編成が長いのが当たり前だった当時は、模型向きの編成ということで人気がありました。

その当時から食堂車は連結していなかったと思います。
有明・にちりん等はモノクラス6両にグリーン車加えた7連が基本だったと記憶していますが、JRになってからさらに編成は短くなった。
なんと3両なんて玩具みたいなのまで・・・
さらには赤を基調にした派手な塗装に、果ては原色のいろんな塗装をごちゃ混ぜにしたとんでもないものも出てきたな。

ワタシ親の追悼旅行でこの派手な485系見ました。
なんかもういろんな意味で田舎娘の必死にドレスアップしたようなあの姿・・・
それからまもなく、定期運用からは引退したのでした。



今回引退式をやった編成、ちゃんと国鉄特急色に戻してたのね。
この色はホッとします。
もうボンネット車はとっくの昔に消えて、残るのはこの「電気釜」と呼ばれる先頭車だけですが、それでも無くなるのは寂しいもんです。
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