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2015年10月18日12:10

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なぜいまさら横並び徒競走

6歳の子どもに過酷な試練…小学生に“格差社会”を思い知らせる、高級ランドセル市場
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3668424
かわいそうと思ってしまうのはいいけど、
このかわいそうという感情は、

つまり、
生まれつきの要素に大きく左右されてしまうものに対してかわいそう、と思うものだ。

たとえば、
徒競走でビリの子がかわいそう、という感情と同質のものだ。

そして、この記者の望んでいることは、

徒競走の順位をつけないで横並びで手をつないでゴールにしよう、という意見と同質のものだ。


この記事見たとき、いまさら?!って思った。


かわいそうと思う気持ちは否定しない。
確かに、政治家はそういう格差が少なくなるように政治をするだろう。
けど、徒競走の順位をつけないとか、ランドセルをみんな同じものにするとか、その方向は違うだろう。なぜ今そう思った。

自分でも書いててすごくいまさら感がある。

以前、そういうニュース(徒競走の)があったの知ってて書いてるのかな。知らなそうだな。主観だけど。

この記者はもうちょっと社会や現代のニュースの歴史を知識に入れてもいい気がする。
違ってたら申し訳ないけど。





追記
記事をもう一度読んでみたが、
この記者って、
みんなのランドセルが同じ、ということが、
「勉強の条件が平等で、同じスタートラインに立っている」
と感じちゃってるのかな?
ランドセルに格差があるから、平等なスタートじゃない、と。


あのね、ランドセルは、買ったらそれでゴールでしょ。

ランドセルについて、「条件が平等で同じスタートライン」に立っているというのは、
たとえば、
勉強をがんばったら、
入学時点(スタートライン)では安物のランドセルが、
だんだん高級品にレベルアップしていく、
っていうのをいうのだよ。

なんだそりゃ、でしょ。

買った瞬間に6年間使うランドセルが決まる、ということは、
それは、いわばランドセル勝負は既にゴールしてるということなの。
だから、それをみんな同じランドセルがいい、ということこそ、
横並びゴールにしよう、というようなもの、ということなの。

だから、そのかわいそうという感情は、徒競走を順位なしの横並びゴールにしてあげたい!
と思う感情と同じなんだよ、と言っている。
平等なスタートラインを指向しているわけでは全然ないよ!と言っている。
(繰り返すがかわいそうという感情は否定しない、念のため)



自分的にはいままで、結果の平等がいい!っていう人はいまどきいないのに、
徒競走で横並びゴールにしようみたいにいう人って、
なんでいなくならないんだろう、って理解できなかったんだけど、
そういう人のリアルな思考回路と感情が見えた気がした。ちょっとだけ勉強になった、と思おう。

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