最近 出力が低下しているので 貪欲に映画やら小説やら吸収する側に回ることにしました。
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自分が死んだら 中を見ないでハードディスクは破棄してくれ。
皆もそう思ったことはないかしら?
ネットの徘徊履歴 好きなAV女優のタイプやら、書き損じで破棄したレターやら、
生きた足跡、ログがそこには残りすぎてるのです。
それらの断片から描き出される人物像は 決して 好ましいものとして像を結ばないはずです。
いやだろ?
「お前のじいちゃん 童顔巨乳好きだったんだな。」とか孫がいじめられてたら。
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常々 思うのです。
定期的に SNSに
kiyoten風の文体で、日記を書き、kiyoten風の軽薄さでコメントにレスをつける。
それが自動化できたら。
そんな 割と簡単なことで、永遠を手に入れることができるのではないか。
バッハって知ってる?
あのモジャモジャでいかめしい面した。
そう 作曲家。
とっくの昔に死んでる。
もう、本人はとっくに土に還ってる。
だけど 我々は彼を知ってる。
我々が知ってる彼は 彼の残した曲であり作曲技法。
パターンがあるので、ちょっとしたモチーフがあれば バッハ風に曲を作ることは自動化できるらしい。
死者に用はない。
墓の下で眠っている彼の指や腕や髪や顔に用事はない。
彼のように考え、彼のように曲を産むアルゴリズムさえ現存していれば
つまり、彼は今も生きているといえないか。
肉体の老化や死が不可避なものであっても
それらのアルゴリズムが魂であるとすれば 不要な肉体を捨て、プロトコルとして永遠に存在することこそが 不死ではないにせよ 永遠不滅の存在なのではないか。
自動書記 で 魂の保存はできないだろうか。
魂のアルゴリズムのデジタル化、ルーチン化、パターン化による「生きていない今日」について日記を書くオートライティング。
この世にはいないけども ネット環境とちょっとしたAC100Vの給電で保存される魂。
食欲、性欲、睡眠欲、 肉体からのフィードバックをすべて排除した魂は 果たして 何を語れるのか。
いや
肉体からの要求をすべて ノイズとして切り捨てて排除した魂は。
きっと語るべき言葉が見つからなくなるのではないか。
甘いものを好きなだけ食いたい。
女の子はいい匂いがするから好き。
本当は仕事も楽器の練習もかなぐり捨てて好きなだけ寝ていたい。
その結果、迷い間違う。
人に見られる自分も意識するから 文章も多少は推敲する。
眠い時は まとまりがなくなり
映画を見た後は日記が長くなる。
この外的インプットから得られる日々の揺らめきこそが 魂の存在の証明に近い
というところでおやすみなさい。
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