mixiユーザー(id:21969907)

2015年10月13日21:12

343 view

「南京事件登録」は、歴史の真実を主張する絶好の機会ととらえるべし!」

「ゆねすこ「南京事件登録」は、歴史の真実を主張する絶好の機会ととらえるべし!」
http://ameblo.jp/rekishinavi/entry-12083683897.html


井上正典のブログより
全文引用

10日は私もお世話役をしている呉善花先生の福岡での勉強会である「一月三舟の会」の発足記念講演会で石平先生との合同講演会を実施しました。細かい内容なオフレコも多かったために、ちょっと詳しくは書けないのですが、石平先生の冒頭のあいさつに、「福岡に来ることを楽しみに、ワクワクしていたのですが、南京がユネスコ登録になったと聞き、むかむかして気分が悪い夜を過ごした」から始まった講演会。

内容は推して知るべしの内容でした。

ユネスコの世界記憶遺産の登録に歴史的事実ならば日本にとってもマイナスのことでも仕方ないと思っています。それが事実ならば私たちは真摯に受け止めるべきものです。

しかし、それが事実を反しているものならば、毅然とした態度で反論をすべきことだと思います。

それは、先人に対してと未来の子供たちに対してのウソの重荷を背負わせるのは戦後70年のこの年に終止符を打たなければならないからです。

これは、安倍談話で安倍総理が発言された通り、

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

ということを私たちの世代が実践せねばならないのです。

石平先生が「CHINAという国は、真実が何かということは問題ではなく、歴史はCHINAにとってこうあるべきだ」ということが当たり前となっていると言われていました。

歴史的に見て、偉大なCHINAは古代から中世にかけてアジアに君臨していましたが、近世に於いては欧米に蹂躙され、さらにアジアの国の自分の子分であるべき日本から面子を散々潰されてきました。

だから、歴史戦はすべて日本が対象であり、イギリスなどにはアヘン戦争の賠償などを一切持ちだしません。

アジアにおける日本の立場を潰さねば、アジアの盟主としてのCHINAの威厳が保たれないと考えているのです。

だから、日本を貶めようと小ずるい計算で多額のお金を使って工作しており、その結果が今回の捏造された南京問題の登録になったのです。

この対抗策は二つあると思います。

一つは正攻法の歴史的事実をきちんと国家的反論として大々的に行うということです。その中には、菅官房長官やあの親中派の親分とみなされていた二階氏も発言しているユネスコへの拠出金の停止または見直しをすることです。

それは、両国間で紛争の種となる問題について国連の機関の一つであるユネスコが絡むことは紛争を無くそうとする国連の精神に違反するということを主張するということです。

日本軍の戦史をきちんと紐解いていけば、30万人もの民間人を虐殺した事実などは全くないということがわかります。

そのときに、数学的見地から見ていけば一目瞭然です。

30万人の殺害をするためにどのような手段を用いたのか?という疑問を投げかけましょう。

あの本来ならば戦争犯罪の権化と言われるアメリカ軍の原子爆弾投下や東京大空襲でも30万人は殺せていません。

あれだけの大惨事を引き起こしたアメリカ軍は日本からの報復が恐ろしくてならないために、日本人の精神を骨抜きにしたWGIPを実施し、帝国大学に戦前社会主義者や無政府主義者つまり非国民として追放されていた学者を呼び戻し、大学の権威を持って自虐史観を戦後の飢えた国民に植え付けていったのです。

さらに「敗軍の将は兵を語らず」という武人の潔さが裏目に出て、隠忍自重していた皇軍の幹部が次々に鬼籍に入られることにより、効果的国際的反論もできずに東京裁判史観によりCHINAのプロパガンダが市民権を持ってしまいました。

東中野先生など国を憂う先生方が懸命の反論をされていましたが、当時はネットも発達しておらず、マスコミと日教組の黙殺のせいで国民の知る権利を封殺されてきました。

私も本多勝一の著書を学生時代に読み、そうかとそんなこともあったのかと思った時期もありました。

しかし、渡部昇一先生の『萬犬、虚に吠える』という著書により、覚醒して事実と違うということに気づきました。

もうそれから40年近くなります。

馬一頭に積める機関銃弾は約2000発。30万人を機関銃で殺すためにはどれだけの期間銃弾が必要でしょう。

それ以上にそれだけの弾薬を発射することは当時の機関銃の性能では無理なのです。

さらに南京城入場の際には皇軍の補給線が伸び切って弾薬の不足が言われていた時期に、どこからそのような補給を受けたのでしょう。もし、それだけの弾薬があれば、もっと掃討戦を持続出来ていて、後顧の憂いが亡くなったはずです。

さらに南京市民が20万人しかいなかったところに、30万人も殺したということですが、ほんの数か月後には南京の人口は25万になっており、その人たちはどこから湧いてきたのでしょう。

ここいらはたくさんの人が主張しているから皆さんもご存知でしょう。

CHINA人と議論しても普通の人はなかなか知らない名前があります。

汪兆銘という人です。この人は孫文の弟子の一人であり、1940年3月に親日派の南京政府を樹立した人です。

南京事件が起こったとされるのが、1937年の12月です。それから数年もたたずに親日政権が30万人も殺された場所でできるのでしょうか。

汪兆銘は盟友であった蒋介石に手紙を送ります。

「君は安易な道を行け、我は苦難の道を行く」という一節は有名です。

それは、蒋介石は抗日政策を取り続け、重慶に首都を移します。

しかし、汪兆銘は南京で親日政権を樹立し、日本と仲良く共存することにするのです。

何のために?

それは、戦禍で苦しむ民衆のためにです。

彼はそのような決断は歴史的に見ても、売国奴的行為とみなされることを予見していたのでしょう。

だから、「苦難の道」となるのです。

でも、目の前に苦しむ民衆の姿を見て政治家として進む道は?と真剣に考えると治安の良い日本の施政下に入ることの方が民衆にとって良いという決断をするのです。

それは、もう数十年に渡って欧米列強から侵略され、無能な清国政府を革命で倒してきた汪兆銘だからこそ、何のために自分たちが孫文先生たちと革命を指導してきたのかと考えたのです。

結果は、墓が暴かれ死体は八つ裂きにされ、今でも銅像に小便をかけるようになっているそうです。

満州国は1931年に建国しましたが、当時の人口は3千万人。1945年にはその人口が約5千万人まで増えています。

朝鮮半島のように出生率や平均寿命が延びたからと増えたというには急激すぎます。

これは他の地域から平和に暮らせる満州国へと次々に人々が流入してきたのです。

いつの時代でも、どんな民族でも平和に暮らしたいと思うのは共通です。そのおかげで人口が増え、どんどん発展していきました。

水洗便所の普及率も日本本土より高かったと言われています。

その事実を知っている政治家ならどのような決断をするかを考えたらわかるでしょう。

このように歴史をきちんと紐解いて論理的に反論するのが第一の方法です。

もう一つがこの登録に関わった委員の財産調査を行うのです。

CHINAから何らかの形で賄賂が配られたという懸念はぬぐえません。徹底的に財務調査を主張するのです。これをしない限り拠出金には応じないといえばいいのです。

いいタイミングに国連の事務局長が収賄で捕まっています。今が絶好のチャンスなのです。

国連がもはや機能しなくなったのは、安全保障理事会の事務総長がCHINAの軍事パレードに行くことにより証明されました。

そこには国連が犯罪人として告発している大統領と事務総長が並んでひな壇に立っているという滑稽な場面もありました。

お金だけを出すことが国際平和につながらないということに気づきましょう。

平和ボケした国連神話を信じる日本国民に真実を知らしめる絶好の機会と思います。


11 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する