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2015年10月09日07:50

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「流される」

 長い間経つと、「世の中の変化」に気が付かない、いわゆる「ゆでガエル現象」に嵌ってしまっている自分に気が付くことがあります。この場合、大抵自分が「主体的」に動かず、他人のなすがままに「流されてきた」結果ではないかと思います。これが僕個人の事ならば、被害は僕一人で済みますから、「自業自得」と言うことで、諦めもつくのですが、これが国全体の問題になると、そうも言っておれません。何故ならば、その影響は国民全体に及ぶだけでなく、周辺国にも、孫末代にも及ぶことになります。ですから「国の舵取り」をするとか、大企業のトップマネジメントの方々は、「単に自分一人が責任を取って辞めれば良い」と言うような軽々しい気持ちで、責任者になってもらっては困るのです。


 「川の中に子供が流されている」のを、両岸中見ていた大人が助けに行かなければならないと決断したときに、それそれがどんな方法で接近し、どこに向かって泳ぎ、どのようにして救助するかは同一ではありません。両岸の形状も違えば、流れの急な流域と穏やかな流域があり、川底の深さも均一ではありません。もちろん、溺れかけている子供の体力や意識の持ち方にもよるでしょう。まして、刻々と変化する流れのスピードや、水温の変化などその場に行かなければわからないことは、現場で判断するしかありません。でも、実際に自分で泳げなくても、他人が救助するところを見て、「そっちに行っちゃだめだよ」とか、「もっと上流から飛び込まないから、子供のところに行けずに流されたじゃないか」などと評論することはできます。いわゆる「岡目八目」です。


 今、シリアで起きていることは、まさにそのような「カオス≒混沌」の中にあります。つまり「アサド政権」「反アサド体制派」「ISISイスラム国)」が三つ巴に戦っていて、アメリカは「反アサド体制派」を支援し、武器を渡して、アサド政権側を攻撃」させ、ロシアは「反アサド体制派」を空爆し、アサド政権側を擁護」し、「反アサド体制派」はアメリカ支給の武器を持ってISISに寝返り、シリアの難民は地中海を渡ってヨーロッパに逃れ、トルコはロシアの領空侵犯を非難し、中国は地中海に海軍を派遣し、それぞれがテンでバラバラな行動に出て、日本が多額の分担金を払っている「国連」は「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいます。


 では、日本人の好きな「平和外交≒話し合い」で解決できるのでしょうか?それぞれが自分の国にとっての「利害」の方が優先しますから、表向き「シリアのため」を装いながら、「自国の利害」を中心に情報を集めて、「自国の方針・戦略」を決めますから、どう「話し合っても、利害は一致」しません。誰も、自分の得にならないのに「軍を動かし、攻撃に参加する」訳がないのです。この時日本人がよく見誤ることは、すぐに「何が正しいか」と言う「正義感」で判断しようとすることです。「天地神明に掛けて『正しい』ことを行う」ことが必ずしも正しい判断ではありません。このもつれた利害関係を解きほぐすには、各国がシリアに何を期待して行動しているのか情報を集めて分析することが大事なのです。しかも、先の川でおぼれた子供(シリア)を助けるためだけでなく、救助に向かった大人たち(アメリカ、ロシア、EU各国、中国)の本当の目的を不完全ながら満足させる「着地点」が見いだせなければ、「解決」はできません。


 シリアは一例ですが、TPPをはじめとして、「仏を作って魂を入れない」ことが多すぎます。たとえばTPPは「イデオロギー」ではありません。単なる「TPP12か国内貿易ルール」にすぎません。であれば、実際の「運用」を進めるにあたって、「審判」がいて、笛を吹き、イエロー・カードを出すとか、「TPP交易連盟」を作って、実際の取引を「監視」したり、「運用」しながら、問題点を把握して「TPPの改善」を図る必要があります。当然、「TPP域内」と「TPP域外」との取引のトラブルの調整なども発生します。


 ここで少し角度を変えて考えてみてください。ロシアはご存知のように日本に比べて「経済力」はありません。国家予算は石油などの天然資源に頼っていますから、現在のように石油価格が低下したうえ、中国をはじめ「石油消費国」が不況に苦しみだすと、極めて苦しくなります。そんな国がどうして国際社会の「発言力」が日本以上にあるかと言えば、「国際紛争解決の手段≒軍事力」を持っているからです。日本のように「話し合いで解決する」は理想ですが、それで解決できないときに、「力による解決」が出来るから、世界は「日本よりロシアの方が格上」と見做すし、いくら「北方領土返還を迫っても相手にしない」のです。TPPでも結局「軍事力」を持たなければ「流される」側に入れられてしまうのです。


 つまり、話を出発点に戻せば「国際社会で軍事力が無ければ流される」しかないことを言いたかったのです。国際社会で生きてゆくには、現実にいくら「話し合い≒国連」があっても、結局紛争解決には「軍事力の介入」によるしかないし、日本の「国際的な発言力」を押しとどめるには、「憲法を守れ」「軍国主義反対」「集団的自衛権行使反対」「靖国神社参拝反対」「南京大虐殺謝罪要求」など、「徹底的に日本を縛っておけば、国際ルールを自分たちの都合の良い方向に決められる」ことに嵌められている我が国を「日本人自身が喜んでいる」のが現実なのです。


 これからも、我々は「流されていく」だけの漂流民でいいのでしょうか?


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